SSブログ

2011-08-21  カテゴリ: 深圳の山と公園

《深圳の山》行くごとに美しくなる鳳凰山森林公園 (1) 追憶 (2011.8.20)

鳳凰山最高点の展望台をバックに 岩だらけの鳳凰山

《深圳の山》 深圳・鳳凰山森林公園 (2011.8.20)

鳳凰山森林公園
初めて深圳・鳳凰山に登ったのが2007年の11月。
そのころ深圳では5年計画で深圳の半分を森林にする、という計画が発表されて鳳凰山も計画に入っていました。確かに計画は実行されているみたいなのですが歩みが遅いような気がする中、この鳳凰山森林公園は優等生ともいえるほどめざましく変化しました。2007年の面影はありません。
2007年11月に来た時はすでに整備が始まっていました。鳳凰山の玄関口の「鳳凰山」と書かれた巨石の設置や登山道の石段化が始まっていました。


玄関口、「鳳凰山」の巨石の設置 (2007.11.6)

登山道石段の整備。人海戦術 (2007.11.6)


周りの変化

砂埃の舞う登山口への道 (2007.11.6)
そして鳳凰山麓の街も大きく変化しました。2007年当時は砂埃が舞っていました。商店の前は買い食いをした人が路上に捨てたゴミのじゅうたん。山に興味を持って初めて鳳凰山に登ったのですが、とても他の人を誘うことができない環境でした。

2008年には山麓や周辺の街の改装が始まり、埃の舞う街路を整備、道路沿いの緑地には大量の植樹、というより植林のような整備、歩道沿いには街路樹も植えられて少しずつ美しく変貌。

この日訪れた時はまたまた美しくなってました。

人々
街が美しくなれば人の心にも影響を与えるようでこざっぱりした服装の登山者が増えました。雰囲気的には住人の散歩。

子供の頃、「衣食足りて礼節を知る」という言葉を覚えました。正確には

管子「倉廩実ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち 栄辱を知る。」
米蔵がいっぱいになると礼節に心を向け、衣食が十分に足りて栄辱を知る

というのだそうですが私が初めて深圳を訪れた1992年から今までの深圳の歴史はまさにこれのような気がします。急激に変化しました。今は深圳に住んでいる人の表情は明るいし自信に満ちているような気さえします。
今後は急激な発展に天狗にならず謙虚さを持ち合わせた雰囲気を持っていてほしいと願っているのですが・・

美しく外装された鳳凰山の「門前町」


公園参道


公園口


登山を楽しむ人々


帰りのバス停で


タグ: 鳳凰山
2011-08-21 コメント(6) トラックバック(0)

コメント (6)

ノエルまま   2011-08-23  (01:27)  

中国の持つパワーって 計り知れない位凄いんでしょうね
多分 まだまだ ”こんなもんじゃない”んですよね
謙虚さ という言葉が存在するのですか?(ちょっと失礼過ぎたならごめんなさい) 

Sceneway   2011-08-23  (01:42)  

世界の4大文明で唯一健在な国ですからね。これまで維持するからにはそれだけの底力を持っているのかも知れません。
謙虚という言葉が中国語にあるかどうかは知りませんが・・
孔子や孟子などの文献から類推するしかないでしょうか・・

saito   2011-08-23  (09:52)  

謙虚は同じ感じでありますよ。昨日親戚の叔母さんに、教わりました。

Sceneway   2011-08-23  (12:24)  

お、そうですか。どんな言葉を使っていたのでしょう?

saito   2011-08-24  (21:40)  

謙虚は日本語と同じ漢字です。ピンインは忘れました。

Sceneway   2011-08-24  (22:38)  

了解です。謝謝。

コメントを書く

名前:[必須]
あなたのURL(名前にリンクされます):
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

2024_04


Produced by Sceneway   copyright [コピーライト] "日本中国夢時間 香港から深圳そして中山へ" all rights reserved