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2012-02-15  カテゴリ: 中国・華南で年金生活

2012年のカミングアウト - 中国深圳で年金生活へ

深圳で年金生活

深圳で年金生活へ

まず日本から香港へ (1996年7月31日)
1997年7月、香港は中国に返還されてイギリスによる支配が終了したのですが、その前年、日本を離れる決意をして1996年5月に日本の会社を退職して奈良語しかわからないまま1996年7月31日香港で就職しました。
日本では二十数年ずっと設計をしていました。電子オルガンに始まりステレオなどの電子設計でしたが、日本を離れて香港で働くという日本人技術者がそれほど多くなかった頃なのでので技術者としてちょうどいい機会だったかも知れません。47歳でした。
付属的に香港返還の歴史的な場面も体験することができ、貴重な思い出です。

香港から深圳へひっこし (2005年6月5日)
それから香港で数度の転職を体験し、7年の香港滞在を経て2003年12月、香港永久性居民となりました。それから半年後、2004年6月、深圳に建設中のマンションを購入、といってもスケルトン渡しで内装をしていませんので翌2005年1月5日に引き渡しを受けたあと内装工事に入り5月竣工、2005年の6月に香港から引っ越して深圳に住み始めました。

深圳を初めて訪れたのは1992年1月11日から14日まで、香港と深圳を巡る初めての海外旅行ででした。初めて海外を知ったのが42歳とかなり遅かったのですが、それ以後は仕事でたびたび香港、中国を訪れるようになりましたので中国の生活もスムーズに馴染んでいきました。まあしばらくは深圳での生活基盤を整えるのに大変でしたが。

深圳一つめの挑戦 - ブログ(2006年5月)
そして深圳に来てから1つめの挑戦、ブログを書き始めました。まずはマンションを買って一人で内装工事をやりきったという、まあ自慢話をまとめてUP。
毎日ブログを書くということは気が重いので、ブログはホームページとして放置しておくつもりだったのですが・・・どういう訳か5年も続いてしまいました。もうじき6周年です。
今は生活の1つの「張り」というか、自分の生きているあかしというか。

二つめの挑戦 山へ(2007年10月27日登山記念日)
そして次の転機は2007年。何気なく山登りをしたことから始まりました。
ひょんなことから深圳八景を知り、その一つである羊台山587mに登ってみようと思い立ち登山口を探しだして石段2,592段を登り切ったのですが、次の日から3日ほどがたいへんでした。階段が上れても下れない!バスを下りるときは手すりを持って飛び降りてました。
次の目標、深圳最高峰の梧桐山944mがあるのにこれではまずいので梧桐山の登山道を調べるのと並行してノーエレベーター訓練を始めました。

私のマンションは少し高台になっているのでマンションの入り口までに2階分ぐらいのエスカレーターと4階のエレベータ、それに自分の棟の12階までエレベータを使いますが、これらをすべて階段で上り下りすることにしました。全部合計すると300段あまりの階段でした。はじめは12階の自分の部屋まで上るのに3度ほど休憩が必要でしたが1週間もすると休憩なしで上れるようになりました。その後はピッチをあげて・・

そして2ヶ月後、2007年10月27日に梧桐山初登頂。梧桐山脈を縦走したので8時間半かかりましたが訓練の甲斐あって足は元気そのものでした。ほかのブログを見ていると登頂後1週間ほどまともに歩けなかった、とか書いていましたのでちょっとにっこり。
自分の登山記念日を10月最終の週末に設定。58歳で山登りに目覚めた日です。
山歩きの楽しさを覚えてからは香港の山にも興味を持って出かけました。まあ、基本は一人行なのであまり無茶なことはできないと思うのですがけっこう無茶をやってました。今思い出すとちょっと怖い・・

そして花々
山歩きをしているといつもよく目にする花が咲いています。しょっちゅう目にするようになってくると名前が気になり出します。でも日本とは違うので花の名前も調べにくいだろうとはじめからあきらめ気味でしたが、気が向いてネットでいろいろ調べてみるとけっこう名前が見つかるものでこれならと、調べ始めました。
日本では花の名前など知りませんから、今では日本の花よりも深圳・香港の花の名前の方がはるかによく知っています。

そしてかわいい野鳥たち
鳥の名前もはじめからあきらめ気味でした・・こちらは花と違って遠いところで動いている。
カメラを18倍ズームというものにしてからやっと撮影が少しできるようになりましたが、ピントがなかなか合わす安物カメラではやっかいです。かといっていいものを買うと重いし山を歩くのに苦労するし・・ということでなかなかうまくはいきません。
始めに名前を知ったのは紅羅雲(こうらうん)。あるホームページを運営している鳥好きの人にメールをして教えてもらいました。 でもこういうことばかりをして名前を知るのもだめなので香港で大枚298ドルをはたいて鳥類図鑑を買いました。

花も鳥もネットで名前を調べるには日本のサイトだとすぐに限界が来ます。やっぱり、中国、香港の地元サイトで調べられる訓練が必要ですね。特に香港のサイトだと地域性がぴったりで多少見つけやすい。学名が和名と中文名の橋渡し役。
始めはWikipediaを重宝していたのですが調べていくにしたがって「?」と思うことが多く、真偽の確認作業が大変なので今では利用することはありません。

料理
私はもともと胃が弱いのですが深圳に引っ越した時もよくありませんでした。日本に帰省したとき初めて胃カメラ検査をしたら「胃がぼろぼろですよ」みたいなことを言われました。かといって適切なアドバイスもなく・・・
で、天ぷらを食べるとき、大根おろしと一緒に食べると胃のもたれがなくなるのをヒントにヨーグルトとミキサーにかけて大根ジュースを作って毎日飲んでいましたが目に見える効果うすく・・
おまけに中国のメラミン騒動で使っていたヨーグルトにも混入されていたようでさんざんでした。

その後ふとしたことから原因が使っている油によるものではないかと感じ、試しにピーナッツ油からトウモロコシの油に変えると効果てきめん、食後の胃の不快感が全くなくなりました。ピーナッツ油が原因と知れましたがこれがわかるまで何度胃カメラを飲んだことか・・・やっぱり病気は自分で治す気にならないとだめですね。自分の体のことがわかるのは自分だけですから。

そんなこんなで食生活は自炊が基本になりました。で、日本から料理本を買ってきて料理も挑戦を始めました。昔と違い今はネットがあるのでレシピをふんだんに仕入れることが簡単です。何でもかんでもネット。ネットがなければ生活は始まりません。

そして・・ 年金生活へ
そして2010年末から深圳の銀行に年金が送られてくるようになりました。
というのも私は中国建国と同じ1949年生まれ。「第XX回国慶節」のXXは私の年齢、というわけで年金生活へ突入。
本来ならば一年早く年金が入るはずだったのですが年金機構のミスで一年遅れになってしまいました。もちろんそれまでの年金はそのあとにいただいてますので問題ないのですが。

便利なことに年金は手続きをすれば日本でなく海外でも受け取ることができます。しかも振り込み手数料は日本銀行持ち。ただ中国在住の場合は香港の銀行へ振り込んでもらうことはできません。中国の銀行へUSドルで振り込まれます。そして誕生日の付近には日本領事館へ行って「生存証明」をしてもらわねばなりません。

もう一つ告白すると・・・実は深圳に引っ越してきた2005年、55歳の時から完全リタイア、仕事をしていません。でほぼ7年間仕事なしでの気楽な深圳生活。年金生活までは貯金で生活、というわけでした。やっと年金生活が始められるようになりました。

途中いろいろ仕事の話はあったのですが、就業条件で折り合いがつかず。
私は技術屋ですので日本にいた頃の残業数は半端ではありませんでしたので、残業には慣れてはおりますが、自分の人生を送りたいという気持ちもあって平日はいくら残業でもよかったんですが土、日曜日はちゃんと休めるようにしたかったのです。山に行けるように。折り合いがつかず・・残念。

という経緯で現在年金生活に入ったわけですが、年金生活といっても私は厚生年金と国民年金の複合型で、65歳までは半額しかありません。 65歳までの年金額では日本では全く生活できません。深圳だから生活が成り立つ話。
深圳の生活費については → 生活費

今後は気が向いたら年金生活カテゴリーで記事を投稿するつもりです。

でも現在のこんな私の生活は毎日がすごく楽しくこれまでの人生の中で一番充実していているような気にもなっています。フランスの小説家、アナトール・フランスはいいました。

もし私が神だったら、私は青春を人生の終わりにおいただろう。

私には名言だと思えます。

つがい(?)の腰白鵯(こしじろひよどり) (2012.2.15)
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2012-02-15 コメント(6) トラックバック(0)

コメント (6)

齊藤 邦宏   2012-02-16  (08:52)  

年金生活カテゴリーで記事 楽しみです。

hayate-11   2012-02-16  (09:09)  

シンセンから、日本の年金制度問題を指摘してください。 私も短い期間、胃腸に良いと思い、中国メーカ製のヨーグルトを毎日食べていた時期がありましたが、毎日、下痢していました。 体調にお気をつけて、シンセン生活を過ごされてください。

斧田一夫   2012-02-16  (10:03)  

電子機器の設計者でしたのですね。現在花形業種でもったいない気持ちです。
私も暖房機器の設計を、韓国、中国と技術指導で経験し、今毎日当時を忍んで
貴殿のブログを拝見し度胸のある体験をされていられていることにかんめいを受けます。
体調に十分お気つけて素晴らしい発信をつずけて下さい。

Sceneway   2012-02-16  (10:03)  

齊藤 邦宏さん
さてどんな記事になりますやら・・

Sceneway   2012-02-16  (10:14)  

hayate-11さん
こんな深圳ライフが私にできるとは驚きです。
年金受け取りに至るまでの資料もスキャナを駆使してファイルに保存していますので少しずつご紹介できれば、と思っています。
胃を大切になさってください。

Sceneway   2012-02-16  (10:25)  

斧田一夫さん
斧田さんも設計者でしたか。これまでのコメントの雰囲気から技術者さんらしいものを感じておりましたがやっぱりそうだったのですね。
私が香港に出てきた当時は設計屋もけっこう価値があったのですが今は生産管理や品質管理の方面、特に品質管理は日本が世界から一目置かれているように感じます。
今後もなにか新しい挑戦をしたいのですが・・

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