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帰省します


2週間ほど奈良に帰省します。その間更新が不規則になるかも知れません。


大和民俗公園

少し整備された深圳空港国際線前

《奈良帰省日記2011》(1)深圳から奈良へ (2011.11.2)

深圳空港へ - タクシーでのちょっとした出来事
去年の7月以来1年以上ぶりの奈良帰省です。
深圳航空の大阪便は福州を経由します。深圳-福州が国内便で福州から大阪までが国際線。預けた荷物はそのままで福州でいったん降りてイミグレ手続きをして再び乗り込んで大阪へ。

朝5時に起きる。 深圳空港8時20分のフライトで1時間半前に空港へ、とのこと。地下鉄はまだ動いていないのでタクシーだけ。
こういうときは乗る前に料金を決めてタクシーに乗るのがいい(ごまかされるから)。去年は90元で交渉成立した。今年は地下鉄がたくさん開通してタクシー業界は売り上げが大きく落ちているだろうから、高く言ってくるかな・・一応100元で交渉しようかな。
と言うことでまず1台目のタクシーと交渉。120元だという。で次のタクシーと・・
ちょっとねちっこく言ってきて嫌気が。次と交渉するかと思ったらさっきのタクシーが手を挙げてOKだと言ったのでそちらに乗り込む。

高速道路で空港へ。7時に空港へ。国際線は国内線A、Bから離れたところ。タクシーの運転手がAかBかと聞いてきた。海外の線だというと国際線かと聞き返す。そうだと返事。彼はその後も確かめるように何回も国際線かと聞きました。
まあ、みすぼらしくニートみたいな服装をしてタクシー代を120から100に値切るようなやつがどうして国際線?と言うことなんでしょうかね。私はけっこう格好で誤解を受けているような気も・・・昔から結構あります。まあ変える気は全くないですけどね。

久々の深圳航空で大阪へ
空港に着いてみるとけっこう客が。これまで私一人とか数人だけだったので深圳からの国際線客も増えたようです。
待っている間に空港のWiFiがあるかどうか確認、SZairportというのがありました。無料。
国際線客が機に乗り込んだ後国内線客が乗り込み満員になって出発。
深圳福州間で国内線の朝食が出て福州大阪間で昼食。食事の原価が安いのはよくわかりますがなぜかお腹がいっぱいになります。
でなんやかんやで関空に到着。
無税のものばかりでも申告をしなければならなくなったようでけっこううっとうしい。

いつものように天王寺で大和路線に乗り換え、途中法隆寺の塔を見ながら我が家へ。

時刻表を見るとなんか間引き運転をしているような・・おそらく関電の原発問題で節電のためだろうけど本当に足らないのかな。統計では原発がなくても発電能力はあるはず・・・
たぶん原発で休眠させていた火力発電を再稼働するのが面倒なだけなのでは、と言う疑念も出て・・なんせ、東電は当初計画停電と言いながら休眠発電所を稼働したら電力が余ったのでは・・

今回はちょっと精神面がいつもと違います。帰ったら食べ物に気をつけないと。
瀬戸内海です
ふるさとの花

《奈良帰省日記2011》(2)帰省3日目 (2011.11.4)

市役所へ
1年に1回の帰省なのでまずは市役所へ。
住民票はこちらに残っているので所得の申告をしておかないと国民健康保険税(保険料なのですが市役所からの書類には保険税と書かれています)が自動的に増やされてしまうようなのです。で所得申告を。
やっぱり保険税が増えていました。
無収入(日本で)の場合は年間2万円ちょっとと言うことらしいのですが7万円コースになっていました。すでに年間の支払い分以上が自動振り込みになった様子。
従って払い戻しがあります。はんこを持ってきてくれればいつでも払い戻しできるようにしておきますとのこと。

墓参りと散歩
一つ用事が終わって花屋さんへ。墓参り用に榊の葉を購入。天理教なので色花は飾れませんので榊。
お墓まで歩いて30分ほど。掃除と墓参り。

墓参りの後、軽く散歩しようとまだ知らなかった道を歩いてみました。と言っても少し歩けばどこかわかるのですが・・
で、いつもの大和民俗公園を目指しました。
公園に着くと太陽は西の山の向こうに入ってしまいました。まだ明るいけどまた日を改めて。
野鳥もあちこちにたくさんいました。滞在が楽しそうです。




小雨の近畿自然歩道を行く
この道は冬になると落ち葉が半端でなく積もってふかふかの落ち葉のじゅうたんがすごく気持ちいいところです。

《奈良帰省日記2011》(3)大和の青垣散歩 (2011.11.5)

奈良高専学園祭から大和民俗公園へ

野鳥の群がる池


民俗博物館
天気がよくない。天気予報は昼から雨も、というので傘を持っていつもの矢田山へ向かって歩き出します。

家を出るとすぐに池があるのですが見ると野鳥がびっくりするほどいました。川鵜(カワウ)がどうして盆地の池に・・と思ってしまいました。だっていつも深圳湾に隣接した香港湿地公園で見ているので海というイメージなのです。おまけに横にいるのは小鷺(コサギ)の群れではないのかな。これもいつも深圳湾で見ているもの。ほかにもカルガモ、それにここでもハクセキレイ。かわいい。うれしくなって写真を撮りまくりました。自宅からこんな近いところにウォッチング・ポイントがありました。

国立奈良高専(奈良工業高等専門学校)を通ると高専祭という学園祭。まだ高専内に入ったことがないのでちょっと見学。創立50年以上なのでかなりガタがきているような感じですが木々は美しい。
そして大和民俗公園。久しぶりに民俗博物館に入館後、付近を散歩。

矢田寺から矢田山頂の展望台へ

頂上展望台
そして矢田山中腹の矢田寺へ。まず門前の休憩所で昼食。時々ぱらぱらだった雨がしとしと雨になりそう。
矢田寺は金剛山寺(こんごうせんじ)と呼ばれ1300年前に建立された天武天皇の勅願寺。
そして矢田山四国というのがあり、四国八十八カ所のお寺の名前を冠した地蔵が山頂を巡るようになっているのでこれに沿って山頂へ。最高点と思われる地点から矢田山四国を離れ頂上展望台へ。前回は時間切れで行けなかったので今回の目標。
雨がしとしと降っているのですが深い樹木で遮られて余り雨を感じることなく30分足らずで展望台。展望台は完全に木造。木が腐って途中の階段が落下して・・とか気になりましたが何とかてっぺんへ。あいにくの天気で生駒山が見えず。とりあえずきたという実績だけ。

東明寺
展望台の後は東明寺を目指します。
東明寺は今は小さなお寺ですが、693年舎人親王の開基とされるお寺で重文の仏像が3体あります。前回来たときは紅葉がすごくきれいでした。今回はしとしと雨の中。途中初めてハイキングをしている家族に会いました。普段なら人も多いのでしょうがこの天気ではね。

帰途
東明寺の後は矢田寺へのルートになるのですが矢田寺へは寄らずに直接家へ。
途中、矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)というのに気づき寄り道。この神社も縁起が古そう。6世紀前半には畿内随一の大社となったとか。
そして先ほどの野鳥の池を確認。雨がしとしと降る中、川鵜と小鷺はいなくなってました。カルガモだけでした。
家の近くの池にいた野鳥たち


大和民俗公園


矢田寺


矢田山四国


東明寺






かわいいハクセキレイ
蒼鷺(あおさぎ)が飛ぶ

《奈良帰省日記2011》 (4)身近にいた野鳥 (2011.11.7)


家の近くの池に多くの野鳥たちを見つけてちょっとうきうきしてます。で、今日も寄ってみました。
昨日見た川鵜(かわう)、軽鴨(かるがも)などのほか、蒼鷺(あおさぎ)、大鷺(だいさぎ)もいました。そしてちょこまか動く小さな鳥、いつもひょうきんな白鶺鴒(はくせきれい)かなと思っていたら初めて見る背黒鶺鴒(せぐろせきれい)でした。

この池は2つに分かれていて小さな方には浅瀬があって小さな野鳥がちょこまか歩いて獲物を探っていますし、大きい池の方には大きな鳥が飛び交っています。池全体は2重の柵で人が遠ざけられているのでおそらくそれが幸いして野鳥が多いのかもしれません。

いずれにしても楽しい池です。滞在中いろいろ探してみようと思います。


蒼鷺と大鷺もいました。大鷺の方が大きく見えますね。首を少し伸ばしているからかな。


川鵜が飛びます


白鷺(小鷺でしょうか・・)も


そして背黒鶺鴒


朝護孫子寺

《奈良帰省日記2011》(5)信貴山(437m) 朝護孫子寺へ(2011.11.8)

信貴山・朝護孫子寺
信貴山は大阪と奈良の府県境にあり、聖徳太子に由来を持つ山で、朝護孫子寺の名前は醍醐天皇より授かったものだとのことでけっこう由緒正しそうです。
実は私の家からもそんなに遠くないところにありながらも訪れたことはありませんでした。初めての訪問です。

JRで

信貴山下からの道からは大和青垣の山々
地図で見ると近鉄よりもJRの方が早そうなのでJRで王寺駅へ。ここから近鉄に乗り換余り遠くないので歩いて近鉄信貴山下駅へ。ここからバスもあるのですがさらに歩いて信貴山駅へ。団地を行く急坂の車道です。
ハイキングコースと書かれた山間道がありました。一直線に山上へ向かっています。なだらかそうに見えたのですが歩いていくとけっこうな傾斜が続いていました。しんどい。
後で聞くとここは以前ケーブルカーが走っていたところだそうです。なるほど。
20分ほど登ると信貴山駅、さらに少し歩くと朝護孫子寺の山門がありました。王寺駅を出て約1時間。


朝護孫子寺
初めて見る朝護孫子寺。大きなお寺でした。お寺というか・・廃仏毀釈の影響なのか神社も一緒・・

奥社へ。どんどん登っていきます。けっこう登りました。山頂とのこと。山頂は437m、深圳塘朗山と同じぐらい。
山頂からは金剛山、葛城山、二上山がくっきり。なかなか気持ちがいい。ただ今年の紅葉は遅いということでした。

ここから高安山へ縦走ができるのですが時間が遅いので断念して下山、帰途。

2万5000歩


元ケーブルカーの軌道だというハイキング道


朝護孫子寺へ






奥社への道


山頂の奥社


金剛山、葛城山。二上山




帰り道にはお月さん


芳山 山頂付近の三面仏

《奈良帰省日記2011》(6)柳生街道を行く・芳山(ほうやま;517m) 鶯滝(2011.11.10)

柳生街道・芳山へ
柳生はもちろん柳生流の柳生のふるさとです。奈良市にあるといえども東はずれで交通は不便です。

今日は午後から雨が降るだろうという天気予報なので簡単に柳生街道の石切峠というところから芳山という517mの山に登ることにしました。資料によると奈良市高畑あたり出発で往復の全行程3時間27分となっています。
まあこの資料はベテランの訓練された人が歩いて、というような感じなので私の場合30%増しぐらいにしないとだめなようですが・・

柳生街道を歩く

柳生街道へ


柳生街道を行く
出発地点の交通機関は頻繁にありますので気楽に奈良駅から循環バスで破石町(わりいしちょう)で下車、ここから柳生街道(東海自然道)を進みます。
町並みから奈良公園の境界(たぶん)づたいの美しい道を抜けて柳生街道へ。歴史の重みを感じる鬱蒼とした木立の中を行きます。昔の石畳、お地蔵さんなどを見ていると昔は柳生目指してわらじ履きの人が通ったのかな、と思いながら歴史にとけ込んで歩きます。
平日とはいえ幾人かの人と通り過ぎたり、追い越し追い越されたり。とってもいい感じ。道は少しずつ登っていきます。
バス停から1時間ほどで最初のあずまや。荒木又右衛門が試し切りしたと伝えられる首切り地蔵がありました。首はありましたが首と胴が切れていました。なるほど。

さらに10分ほど進むと春日山石窟仏。石柱に仏さんを彫りだしています。
石窟仏から10分あまりで石切峠。出発点は標高100m程度、この峠は450mぐらいなのですでに350mを登ったことに。そしてこの峠には江戸時代からあるという茶屋があります。興味津々。
時代劇で見るような雰囲気。2階があるので泊まれるようになっていたのかなと思えば2階も休憩所だとのこと。歴史を戻った気分。わらび餅を。500円。

芳山へ

芳山頂
この峠を少し行ったところで山側にコースを変えて竹林を進んでささやかな道標に沿って登っていきます。杉の木立を抜けて歩かないかわからない急坂を登っていくと三面石仏があります。三面といっても一面には石仏がありませんでしたが・・峠の茶屋からは20分。

さて山頂を探します。5分ほどで山頂に到着しました。展望のない殺風景な山頂ですが来ることができてやれやれ。
で、所要時間を資料と比較しますと資料では破石町のバス停から102分。私の実績は140分。道草を差し引いても3割り増しです。

鶯の滝から若草山へ

鶯の滝


若草山頂
さて下山です。資料では折り返すことになっていますが見ると赤いリボンが先に続いています。おそらくどこかに行けるのでしょう。こちらを選びます。
こちらのコースはルートはわかりにくいながらもリボンがこまめについいていて不安なく何かの道へ導かれました。ただ、この道、どこへ続くのかわかりませんのでとりあえず下っていくのだろうと思われる方向へ歩きます。20分ほど歩くと道標のある道に合流しました。分岐点の立て札によると通ってきた道は通行禁止となっていました。ただ工事用らしい車が通っていたので許可車以外は通行禁止ということでしょう。
鶯の滝0.6km 若草山山頂3.3kmとなっているのでまずは鶯の滝へ。
滝を見学した後、40分で若草山の山頂へ。いつもの山頂風景。

で下山しようとすると・・・
ゲートが新たに作られていて入山料が必要と・・・今までは下から登れば必要だったのですが上から下るときは何もいらなかったのに・・
なんか気分にならず、別の無料コースをたどって山麓へ。

帰途
奈良駅へ向かう途中、国立博物館では正倉院展のようでかなりの盛況。夕方だというのにまだ行列が・・一人1000円の入場料、4時半からは700円となってます。けっこうな収入ですね。
興福寺にも寄って近鉄で帰途に。

3万6000歩


柳生街道を行く

柳生街道へ

柳生街道を


岸壁に彫られた朝日観音


荒木又右衛門が試し切りをしたという首切り地蔵


石切峠の峠の茶屋





芳山に登る




展望のない山頂



帰り道
鶯の滝


このあたりは植樹、植林をしない春日の原始林


そして若草山へ


大仏殿前の人力車

国立博物館では正倉院展

帰ります。
登大路で
十市城北城本丸跡

《奈良帰省日記2011》(7)山の辺の道から龍王山(586m)山頂の十市城跡へ(2011.11.13)

龍王山
天理市にあり山の辺の道の東にそびえるこの地区で一番高い山です。まあ586mということで深圳の羊台山と同じ高さ。この山頂に戦国武将十市氏の城が築かれていましたが後に織田信長によって廃城にされたとのことです。
この山に登ります。

天理へ
まず天理へ。通り道の崇神天皇陵へ。お堀にたくさんの鴨がたむろしていました。
崇神天皇陵近く、長岳寺横のトレイルセンターで資料集め。たくさんありました。龍王山もばっちり。2つの登山ルートがありました。長岳寺ルートと崇神ルート。ま、行き帰りに変えるとしてほかにも観光コースがいくつかあってそれぞれ回ると一筆書きのルートにはならないみたい。土市城にも南本丸と北本丸があって少し離れています。ま、とりあえず出発。

出発
JR柳本駅を出て崇神天皇陵、トレイルセンターへ。そしてセンター横の長岳寺から出発です。
長岳寺の山門を抜けしばらく進んで「龍王山」の道しるべに従って山道に入ります。
すぐに登り道で林の中を行きます。けっこう緊張の続く道で危険そうな所にロープが張っていたりします。でも高い木立の鬱蒼とした道、深圳とはちょっと雰囲気が違います。やっぱりこういう道がいい。45分ぐらい登ったところでお地蔵さん、というより不動明王かな、石に刻まれた像がありました。こういうのはいいですね。気持ちがほぐれます。
それにしても気候も天候もハイキング日和の日曜日というのに出会う人はほとんどなく、しかも中年以上の女性と初老のカップル。若い人はどこへ・・・

長岳寺ルートで城跡へ
さらに高い杉木立の中をひたすら30分ほどのぼり続けると急に舗装道路とつながりました。そろそろ山頂が近いのかな。でも車で来られるというのもなんかしゃくですね。
案内図がありました。北城本丸跡と南城本丸跡があっちとこっちになっています。まずは最高地点に行きたいので南城へ。
少し歩くと「龍王山城跡」の案内板。どうやらここらへんが城跡の入り口付近みたい。本丸跡が最高点、山頂になるようです。
本丸跡へ。長岳寺を出発して1時間半で山頂に到着。さすがに山頂だけあって人は多くなりました。弁当を食べたりだべっている人たち。でもやっぱり中年以上と家族連れ。あまり若者には人気がないのかな。
それにしても山道がハードだったのかお腹が減った。弁当でも持ってくればよかった。しゃーない。

資料によると山頂からの眺めはすばらしいと書いてあったのですが・・・・あいにく空気の透明度が悪くはっきりしません。大和三山の耳成山がどうにか確認できただけ。早々に次の目的地、北城本丸へ。

北城本丸跡へ
案内図に従って北城本丸跡へ。何かの遺構は残っているのではと思ったのですが何もありませんでした。険しい土手を登ると・・ありました。本丸跡地らしい平地。誰もいない。案内にはこちらの方がメインだったというのに。やっぱり山頂の方に人が集まる・・

崇神ルートで下山
再び分岐点に戻って元来た道(長岳寺ルート)を引き返します。途中で長岳寺奥の院があるはず。ありましたが建物はなくやっぱり不動明王の石像があるだけでした。がっくり。
ここから崇神ルートに入ります。案内図には古墳群があるというのですが・・気づかすに通り過ぎてしまったみたい。さらに不動の滝というのが・・・
これも空振り。不動の滝と書かれたところにはゲートがあって鍵が・・ということでちょっと後味のよくない結果に。でも山中のコースはとても気持ちがいい。

崇神ルートは山の辺の道にドッキングしていました。山の辺の道にはいろんなハイカーが。
JR柳本駅から天理へ、近鉄に乗り換えて帰途。

3万1000歩


長岳寺から出発




不動明王の石像




南城本丸 龍王山の山頂


山頂から 透明度が悪い


さて


長岳寺 奥の院


下山


山の辺の道まであと少し



龍王山 終わり
関空・空港島

《奈良帰省日記2011》 (8)奈良から深圳へ(2011.11.16)

関空から深圳空港へ
また深圳へ。
お好み焼きソース1.15kgボトルとかこちら(深圳と香港)では手に入らないヒガシマルの薄口醤油などもしこたま買いためました。
奈良へ帰る時の鞄の重さが9.9kgで買い足しができるのは10.1kg。なんか怪しげな重量になってます。

JRのいつものルートで関空へ。そしてどきどきの測量は・・
がーん・・22.7kg。何を取り出そうかなと頭の中で思案。係員はちらっと重さを見ただけで手続き終了。重量オーバーはお構いなしでした。

搭乗。順調にまず福州へ。順調にいくと思っていたら福州空港でなにかのトラブル。
『深圳行きは出発することができません。次のアナウンスを待ってください。』
・・・・
まあ、どうにか出発。1時間近く遅れて深圳へ。帰宅は23時。ああ疲れた。
でも機内から世界之窗、深圳湾大橋などの夜景が目の前に次々にに見えていったのは感激でした。
関空で

新しいカメラ

一眼レフ
やっと買いました、一眼レフ。
まあ、お金もないので安物のダブルズームキットで最大250mmなので鳥を撮るには不足かなと思うのですが超望遠レンズは高いし。超望遠ということになるとBORGとかデジスコと言うことになりますが三脚を据えて・・というのは苦手なので手持ちがいいのです。
ということでとにかく使ってみます。マニアのようにカレンダーにできるような美しい鳥の写真を撮るのは私の現在の目的ではないのでこのままでいいかもしれませんし。

考えてみると一眼レフを初めて持ったのはフィルムカメラ時代ですからもう?十年ぶりです。当時とはカメラも全く変わりましたので初心者のつもりでマニュアルを読みまくってやっとおおざっぱな性能と使い方を知りましたのであとはよく使ってカメラの癖を知って設定方法を考えないと。いまカメラの性格を診断中です。

Canon EOS kiss
買ったのはCanon EOS kiss X4のダブルズームキット。X5の方が新しいのでそちらをねらったのですが諸般の事情でこちらに・・

数年前は目立つカメラを買うと安全性に気を遣ったものですが今はこちらのカメラが恥ずかしくなるほどいいカメラを持った中国人も多くいますのでもうそんなに気にしなくても大丈夫でしょうね。

新カメラでとらえた蒼鷺(あおさぎ)の飛翔


大和民俗公園の花々

新しく買ったカメラで花を撮影してみました。ピント合わせがすごくやりやすい。早く一眼にしておけばよかったかな・・・
名前を知らないのがたくさん・・




紺菊(こんぎく)


オキザリス・レグネリー


芋酢漿草(いもかたばみ)




奈良で見かけた野鳥  (1) 街角で 公園で

今回の帰省で家の裏の池に香港湿地公園で見る野鳥がふんだんにいたのは全くの驚きでした。で毎日観察に行っていました。
そして景観をじゃまする電柱ですが、鳥には具合がよいらしく電線や電柱を大いに利用していました。
百舌(もず) ♀
鳥が舞い降りるのが見えたので行ってみると百舌が蜂のようなものをくわえていました。これは食後の写真。


椋鳥(むくどり) (Nikon P500)


河原鶸(かわらひわ) (Nikon P500)


軽鴨(かるがも)です。 (Nikon P500)
軽い鴨というのではなく万葉の時代の軽の池に由来するという説があるようです。


カラスが増えていたような気が・・ 嘴太鴉(はしぶとからす)です。 (Nikon P500)
じっくり見ると真っ黒でなく青いところがあります。さすが鵲(かささぎ)や山鵲(さんじゃく)、尾長(おなが)の仲間と納得。


崇神天皇陵で


真鴨(まがも)の群れでした。ガイドによるとおしどりもいるとのことでしたが会えませんでした。


奈良で見かけた野鳥  (2) 近くの池で

頬白白鶺鴒(ほおじろはくせきれい)、首輪椋鳥(くびわむくどり)、高砂百舌(たかさごもず)などなど、深圳・香港でよく見る鳥の名前はやたらと副詞や形容詞がついて長ったらしいです。

今回の帰省時、奈良でよく見かけた鳥は白鶺鴒(はくせきれい)、椋鳥(むくどり)、百舌(もず)など、とても名前がシンプル。
まあ、和名ですから日本でよく見る鳥の名前がシンプルなのは当たり前なのですがネットでいろいろな前を見ては『えっ、こんなシンプルな名前でいいの・・』と思ってしまいました。

さて今回の帰省日記の最後は家の近くの池で撮影したものをまとめてみました。


川鵜(かわう)
鵜飼いで有名な鵜です。ただ鵜飼いには海鵜(うみう)を使うそうですが。黄色い部分が少し違います。


川鵜がよくやるポーズです





鴨(かも)
軽鴨(かるがも)


着水・・真鴨(まがも)







ほか・・
蒼鷺(あおさぎ)と川鵜(かわう)


蒼鷺


小鷺(こさぎ)


小千鳥(こちどり)





おとなりのマンション

お隣のマンション やっと引き渡し


見学者がひっきりなしに・・
おとなりのマンション「僑香村」が完成しているにもかかわらず3年近く放置されたままでしたがやっと引き渡し(入伙)が行われたようです。

このマンションは35階建て21棟、12階の私のベランダから見るとそびえ立っています。全戸数ほぼ4000戸、全部入居すれば1万人ぐらいのマンションとなります。

2008年末に予定されていたマンション引き渡し、前市長の汚職が発覚、逮捕されてこのマンションも汚職に絡んでいることから放置されていました。放置といっても少しずつ整備は続けられていましたが・・
今年の奈良帰省を終えて深圳に戻ってくるとみそぎが済んだのか、ベランダから見ると大勢の人がひっきりなしに訪れていました。マンションの前では内装設計会社(B&Q、百安居)が机を置いて内装設計・工事の仕事を獲得するべくオーナーから受注開始。

期待できるのはこのマンションが未居住のため、道路のこちら側の地下鉄の乗り口設置を延期されていたのが設置されそうなことです。何しろ人口1万人の団地ですから。

このマンションの建設記は → 深圳新マンション建設記
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