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深圳マンション売却顛末記2014 (1) 売却の決断

マンション売却の決断


とある少女のこと
2006年、中国人の知人Aの親戚の6歳の少女が西安市の南隣の漢中市から深圳に遊びに来ました。知人Aの親戚だというので私は少女を連れて世界之窗へ。(→ 世界之窗へ )
そして2008年、四川大地震が起こり多くの人が犠牲になりましたが少女の両親もその中に含まれていました・・
小学校はたった一人残ったおじいちゃんが育ててくれたらしいのですが中学校から知人A(女性)が育てることになったようです。ただ知人Aも2007年生まれの男の子(星星)がいます。彼女の連れ合い(夫)は少し前に病死、したがって知人Aの女性が一人で2人の子供・・・3人同居です。

中国の学校の年度は9月、夏休みが終わると9月から新学年。
私は少女が中学に入る少し前に知人Aから地震のことを聞かされて何とかと思い、少女のサポーターになることにしました。少女の名前は燕燕。
まず燕燕の銀行口座を作りその口座に親戚やらなにやらから少しずつお金を振り込むことを提案して私もいくらかを振り込むことにしました。
ただ事情が許さず私一人がサポーターになりましたので当初の予定の5倍ほどの金額を振り込むことになりました。事情が事情なのでサポーターになることの拒否の選択肢はありませんでした。まあ幸いにも私には深圳のマンションがありましたので最悪マンションを売ればいいか、と言うことでサポーター生活の始まりです。2012年8月。

以後、漢中市に住む燕燕からは毎日携帯電話に「ご飯(夕飯)食べた?」メールと「おやすみ」メールが入ります。ときおり昼にも。まあおびただしい量のショートメールです。ショートメールというかチャットですね。1日10通以上。

こうしてサポーター生活が始まりましたが、とたんに燕燕が盲腸になって入院、手術。良くなったかと思う頃に小学生の間育ててくれたおじいちゃんが73歳で死去、日本風に言うと中学校1年生で喪主になると言う・・・ショートメールには「私には誰もいなくなった・・おばさん(知人A)と星星とおじいちゃん(私)だけ・・」どう返事をしたものか・・・

去年の夏休みは2人の子供(燕燕と星星)を連れて知人Aが深圳のわが家に遊びに来ました。燕燕とは7年ぶりの再会。1ヶ月ほど楽しい生活でした。

あれやこれやとほんとにいろいろありながら2年が過ぎました。燕燕も9月から中学3年生になりました。いい高校に入れるかどうかの踏ん張りどころ。ショートメールをしている内にわかったのは彼女がとても勉強が好きで優秀であると言うこと。試験ではいつも2位だったという連絡。時々1位になります。よく聞いてみると148人中の1位2位だとのことでびっくりしました。
で、この夏休み、前半は学校で補習、後半は毎日図書館に行って勉強していたようです。勉強に行く時のメールはいつもすごく楽しそう。

と言うわけで予想以上にお金がかかり貯金の底が見えてきました。65歳から年金額は倍になりますが、彼女はもちろん大学を希望しているわけで大学卒業までを考えると・・・
で当初の思惑通りマンションを売ることにしました。幸い価格が高騰していますのでちょっとはリッチに。

彼女の大学卒業までは少なくともあと8年。わが家の男子は短命の家系なので私も70歳ぐらいが寿命かなと思っていたのですが簡単には死ねなくなりました。ちょっともがいてみます。
結婚しなかった私ですので燕燕が初めての子供みたいなものです。子供がいることでこんなに生活に張りができるなんてね。ちなみに知人Aと言うのは10年以上前の私の元カノです。


深圳児童楽園で燕燕と星星

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2014-09-04 コメント(10)
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2014_09


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