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カテゴリ <香港初在住日記 1996-1998> ( 201件  古い記事順 )
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【15】  1996年9月27日 (金)  中秋の名月とM氏の経歴

香港・中国で行われている中秋の名月、中秋節は月歴8月15日。陰暦15日は満月。1996年は9月27日、今年2006年は閏7月があるので少し遅くて10月6日金曜日。
ある台湾人が言っていたのは中国では年の重要な日が「春節」「清明節」「中秋節」だとのこと。清明節は端午の節句。
中秋節の飾り物
 
やっぱり香港の会社にはいろいろな経歴を持つ人がいます。
この会社にも香港人、日本人のほか、韓国人、生粋アメリカ人、日系アメリカ人など。
同じ日本人にしても、私の場合、日本で働いていれば、ほとんど近畿の人ばかりしか付き合う機会がないのですが、こちらでは日本の各地の人と知り合い付き合う機会が増えます。
今日はMid Autumn Festival(中秋節)とかで4時に終業となる。でも僕らには関係がない。
日本人はけっこう残る。午後8時前に僕を含め日本人3人で会社を出る。
その中の一人の家でごちそうになる。奥さん(中国人)を含めて4人ですき焼き。

Mさんの仕事、経歴などを聞く。
彼は高卒後、東京の通信機の会社に勤めたが周りが大卒ばかりだったため、お茶くみやコピーなどが多かったと言う。
負けじと青山の夜学に通い5年間で卒業。英語が好きだったのでそちらの方向に進んだ。高校は商科。
大学卒業と同時ぐらいに1ヶ月ほど駐在したという。この時にドイツ語も覚えたらしい。仕事で言った国はドイツ、フランス、アメリカ、インドネシア、南アフリカなど10カ国ぐらいあるという。

あとはいつも通り東莞工場の話や現在の仕事の話など。
深夜12時過ぎ、H氏宅を出る。

明日は出勤、明後日は引っ越しと忙しい。10月8日で観光ビザが切れるのでこれも考慮しないと。早くワーキングビザがとれてくれればいいのだが...
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2006-08-22 コメント(0)

【16】 1996年9月29日 (日)  引っ越し

会社をやめて日本に帰るZ氏とそのあとへ引っ越す私。少し時間がずれてZ氏が10月2日に日本へ帰るまで、4日間共同生活することになります。したがってなるべく遅い時間に引っ越しをした方がいいでしょう。そんなにたいした荷物があるわけでもないので。
今日は引っ越し。朝10時起床、久しぶりに日曜日の朝にやっているTVのJapanese hourを見る。昨日、だいたい荷物をまとめたが、まだまとまっていない物をまとめる。正午荷物がまとまる。
近くの店で「手押し車」を買う。高い物があったがもっと安いのがあるはずと思い、いろいろ探して65$のものを買う。
荷物は日本から持ってきたキャスター付き鞄2個と少し前、油麻地で買った大きな大きなビニール鞄1つとこぢんまりまとまる。まあ予定通り。
いつもの日本料理もどき店「鉄匠」へ昼飯にラーメンを食べに行く。フィリピン人らしい小姐が顔なじみになっているので明るく笑ってHelloと言ってくれる。もう一人の小姐も言葉はだめだけど明るくかまいに来てくれる。ほんとうにこのあたりは住居を除いては下町っぽくて僕にはあっている。少し引っ越しが辛い。時々は会社帰りによってみよう。

3時半頃、H氏が来てくれる。20分ほど様子をみてZさんに電話をして出かける。
タクシー1台で全部荷物が載った。(タクシーで10分ぐらい)
部屋に運び込むともう4時半近くになっていた。3人でまただべる、と言うより東莞工場の話が中心。聞くたびに新しい問題点を耳にする。ほんとうにどうにかしないと。
7時前に済華小姐を呼び、4人で尖沙咀の「大関日本料理」へ出かける。Zさんの送別会のつもりだ。
適当に注文しながら閉店の10時まで話をして帰る。11時過ぎ、新居の藍田。10月2日まで共同生活となる。
香港、深圳のマンション(団地)はXX花園と言うように花園を用いたネーミングが圧倒的に多いです。XXセンターをXX中心と言うように、おそらく英語のXXガーデンと言うのを直訳したのだろうと思いますが、漢字にするときれいです。
花園の場合は複数棟で構成されます。各棟のエントランスには守衛を配置して鍵やオートロックなどでセキュリティを保ちます。守衛のいないところもありますが何らかのロックがあり一般の人が中に入れる所はまずありません。
花園全体を塀で囲って門には守衛を置き、一般の人を花園内に入れなくしたところも多いです。

引っ越し先は「滙景花園」。広東語はウイキン・ファーユンみたいな発音、英文名は「Sceneway Garden」と言い、私のハンドルネームのルーツです。以後香港の北のはずれの粉嶺に引っ越すまでの5年半をここで過ごすことになります。2ヶ月間住んでいた所は淘大花園で、棟は違いますがSARSで騒ぎになった時はびっくりしました。31階(日本式だと32階)だったので眺めが良かったかわりにエレベーターがたいへんでした。

香港では部屋の広さの単位として慣例的にスケア・フィートを使います。イギリスの単位で1スケア・フィートは約0.093㎡、ほぼ1㎡の1/10です。
で、今回の部屋は680スケアフィート、63㎡ということになるのですが...
実はこの公称面積には共用部分、外の廊下とかが含まれていてこれが15-20%を占めるということなのです。ですから63㎡といっても実面積は55㎡ぐらいではないでしょうか。ここに間取りとして2部屋、バス・トイレ、台所、リビング。
とにかく香港の部屋は狭いです。その分、トイレとか見るとバスタブ、便器などうまく詰め込んでます。

滙景花園
 

5年半の間に同じ滙景花園内で一度引っ越しをしています。この写真はあとの方の部屋
 
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2006-08-23 コメント(0)

【17】  1996年10月4日(金)  腹痛

午後3時頃、腹の具合がおかしくなりトイレに走る。下痢だった。

今日は英語の日だ。午後7時過ぎ会社を出ると、急にまた腹具合が悪くなった。何かおかしい。食あたりだろうか。我慢するがトイレに駆け込みたくなったりする。歩くとおかしいようだ。英語を休むことにした。帰途の地下鉄に乗っている間も腹がおかしくなる。

どうにか家にたどり着きトイレに駆け込む。いやな状態。トイレを出てソファーに座っている時は問題ないが、動き出すとおかしい。1時間ほどすると少し良くなったようだ。今日は自炊することにしてヤオハンに買い出しに行く。餃子を買う。他に歯磨き粉なども買う。
10時半頃ご飯を炊く。11時過ぎ食事。ご飯は非常にいい状態だ、うまい。Zさんの置いていったものだ。餃子の焼け具合も非常によろしい。香港で初めての自炊は予定してなかった腹具合により実現した。
私は腸が悪いのでお腹は敏感に反応します。で、以前から香港中国では冷たいものは飲みません。夏の暑い日もホットコーヒーなど。冷たいのは缶コーラとか信頼できるメーカーが売っているものや経験的にだいじょうぶと思えるもの。コーラでも喫茶店で出すものは控えてました。

昔、海外旅行になれた人が言ってたのが、水に慣れていないと腹具合が悪い、1週間すれば水になれて自然に治ると。これは確かに感じます。香港に充分慣れると今度は日本に帰った時しばらく具合の悪い時がありますから。

香港・中国では食中毒というのはよくあるようで、香港時代の香港人同僚は2日間、食あたりで苦しんでいたとのこと。
それに香港の健康システムもよくしたもので医者の診断があれば医者が指定した日数は会社を休めます。これは特別休暇のようなもので出勤と同じ扱いです。台風などのシグナル8と同じで良くできたシステムだと思います。


飛行機から見た香港。1999年当時、新空港のために新しく建設された吊り橋
(1999年9月18日撮影)





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2006-08-29 コメント(0)

【18】  1996年10月05日(土)  電話設置

今日は珍しく出勤の土曜日。
帰り、前のアパートの電気代を自動振込機で支払う。
今日は4時~6時のアポイントで電話屋が来ることになっている。前のアパートのガス屋のように遅れるだろうと思っていたら、4時に帰ったとたんドアホン。若い男性。背中に汗が見えたので窓を閉めクーラーを入れる。しばらく室内で作業をしたあと外へ出て行った。約15分後戻ってきて再び作業をはじめる。一応完了。彼は英語が良くできるようだがこちらがわからない。でも何か、外部の電話工事にミスがあったようだ。30分ぐらいで帰って行った。試しに電話をしてみる。銀行の電話サービスへ、OK通じる。IDD-007も使用できるかどうか試してみる。家に電話する。OK。通じた。

家の掃除をする。洗濯屋の針金のハンガーが山ほど出てきてびっくりする。全部捨てる。100本ほどあるように思われた。次から次へと出てくる。他にもいろいろとってあった。どんどん捨てる。5階のくず箱がいっぱいになり4階のも利用する。僕は部屋が狭く感じられるのを嫌うたちなのでベッドの向きを変えたり、洋服ダンスの中に入れたり工夫する。少しは満足できるようになったが、まだまだ掃除は時間がかかりそうだ。仕事もあるし、あと1ヶ月ぐらいかかるかも知れない。家具を買うのはそのあとにしよう。米をといで電気釜をセットして、ヤオハンに買い物に出る。箸や少しの台所用品と食料。Zさんが残していった食料を利用して晩ご飯。

電話をする。国際電話007は安いが質は良くないようだ。評判が悪い。001も申し込んでおくかな。
カナダにいる友人にも電話。カナダに慣れてみるとアメリカよりもいいと言っている。人は優しいしのんびりしているらしい。中華料理もうまいらしい。毎週飲茶に行くそうだ。いいなあ。はじめていくとたいがい中国語で話しかけられるそうだ。しかし秋が来たのに気づく間もないほど、すぐ冬になったようだ。こちらはまだクーラーを入れているのに。最高気温が10度以下になる日もあるという。日本の真冬並みの気温ではないか。また30分話してしまった。いくら安いとはいえ請求が怖い。
香港の生活もだいぶ慣れてきて失敗も少なくなってきました。
この頃の国際IP電話は007 008 009など日に日に増えていきます。
かなり遅れて日本のKDDも日本まで1香港ドル/分で参入。

 

 



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2006-08-30 コメント(0)

【19】  再び中国へ遊び  1996年10月6日(日)

香港に来る前にも中国語の知識が少しありました。大阪時代の出張時に覚えたもの、それにNHKテレビの中国語会話をよくながめていたので片言よりはましな状態でした。
香港のビザが10月8日で切れるため、中国へ遊びに行く。たばこを仕入れる目的も。何しろこの免税店でたばこを買うと香港の1/4の値段。

粤海酒店の日本料理で食事をしたあと、近くの古い商店街のような所を歩いてみる。(東門市場であることを後に知る)
日曜日と言うこともあってか大勢の人。ほとんどが地元の中国人のように見える。今まで歩いたところは香港人らしい人も多く感じたが、ここはそんな感じはしない。本屋に入ったり、服屋のビルに入ったり、結構おもしろい。

帰り駅近くで急須を探す。品揃えのいい店で見ていると愛想のいい兄ちゃんが声をかけてきた。
ああだこうだを繰り返し、250元のセットを180元にしてくれるというので適当なものを買うことにした。新しいものがあるかというと、陳列品ではない在庫品を持ってきてくれた。お金の準備をした。彼が箱を開けると、中からゴキブリ(中国でよく見る褐色の小さいやつ)が列をなして出てきた。目が点。
彼は「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と。でも目は不安げ。
こりゃたまらん、店を出る。

別の店でセットものを買う。158元となっている。値切り交渉をして120元で買った。1700円程度か。もっと値切った方が良かったかな。陳列品を取り始めたので新しいものを要求した。中を開け1つ1つ確認して見せてくれる。僕も手に取り確認をして受けとる。
帰ってから熱湯消毒。
この当時は深圳のイミグレ前も十分には整備されていなくて、イミグレ前一帯は香港人目当ての香港ドル・人民元の両替屋とか、仮作りの商店でいっぱいでした。香港人はやっぱり金持ちですから、高価なものを選んで売っていたように思います。


当時香港で使われていた切手。まだイギリス統治でしたのでエリザベスのデザイン

香港から日本までの航空便は20gまで3.1香港ドル。ただ96年当時はもう少し安かったような気がします。50円たらず。それでも一般のアジア向け料金ではなく、アジアの中で日本だけヨーロッパと同じ高い料金設定となっています。

以前は日本もアジア向け料金でしたが、日本の国内郵便よりずっと安かったので、これに目をつけたダイレクトメール会社が日本の国内便で送らず香港から郵送したので、高い値段設定となったという話があります。(未確認)

その後、国外と格差がありすぎるというので、日本で国際郵便が値下げされました。それでも、まだ香港からの国際郵便の方が日本の国内郵便より安いですね。

参考 →  香港郵政 
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2006-09-05 コメント(0)

【20】  1996月10月8日(火)  英語のレッスン、バス


新しく引っ越したマンションは藍田と言うところにあり、観光地である尖沙咀からは東へ10km程度、海の近く。
香港には香港島と九龍(大陸半島部)を結ぶ海底トンネルが3本あり、藍田は一番東の海底トンネルの入り口です。
英語教室の英国文化協会は香港島の湾仔というところ。
今日は英語に行かないと。9/27金曜日が休みだったこともあり9/24以来の登校となる。来週は出張で休まなければならないかと思うと自分でいろいろ勉強しておかないとわからなくなる。
6時半頃退社。湾仔へ。途中、適当な食堂で炒飯を食べる。21香港ドル。学校へ。一応予習はしている。いきなりあてられる。betweenを使った文章うまくいく。同じテーブルの人に比べ単語量は僕が多いようだが、僕は聞き取り、話し方がスムースでない。それに比べて香港人は実践派だ。聞き取りの勘が非常によい。

この前はウィンドウショッピングを先生が長い時間をかけてゼスチャーで説明していた。ウィンドウショッピングは和製英語ではなかったのだ。
イギリス英語のリフトというのが米語のエレベータと言うのを知る。
香港に来てからエレベータには常にLIFTと書かれていたのでエレベータはカタカナ英語だと思っていたのだがこれで解決した。


帰りは藍田行きのバスに乗ってみる。藍田ではなく藍田(北)と書かれていたので少し不安があるがわからなければ終点まで乗ってあと タクシーに乗ればいいだろう。
バスに乗ってみると英語学校の近くにはけっこう日本料理屋みたいなのが多い。どんな味かどうか想像もつかないが一度食べるのも悪くない。バスは海のそば、海岸沿いの道路を走り、海底トンネルに入る。トンネルを出ると藍田の標識がある。あ、こんなに近いのかと思う。
でもやっぱり景色がわからない。とにかく香港はどこもかしこも高層住宅が林立している。

結局終点で降りる。乗客は僕を含めて2人だけだった。ここがどこになるのかさっぱりわからない。適当にぶらぶらしてタクシーに乗る。
「ウイキン・ファイン」と言ってみる。通じた。うれしくなる。
近くまで来たらしい。でも風景がわからない。
運ちゃんがなにやら言っている。困った。「パパプン」と言ってみる。ヤオハンのつもり。運ちゃんはそうだとあごで示す。タクシーを走らせ少し行くといつものタクシーの乗り場が見えてきた。ほっとする。メーターは1メーター、$14をさしていることからしてそんなに遠くはなかったようだ。
帰って地図で見てみると、トンネルを出てすぐ近くに匯景花園があるが、バスはこれを迂回している。近くのバス停までどれくらいなのかわからない。
今度の休みにでも調べてみよう。
この頃はまだヤオハンがあり、私のマンション、匯景花園の地下にありとても便利でした。ヤオハンは八百伴と書き、広東語でパパプンと発音します。

後日、調べてみるとこの藍田北のバスはマンションに一番近いバス停から歩いて10分近くかかることが判明。実用性がない...
私は地下鉄よりもバスの2階席が好き。何となく開放感を感じるのです。このバスも2階建てなので2階に座ります。


匯景花園


藍田のマンション群


夜景

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2006-09-06 コメント(0)

【21】  1996年10月9日  香港2度目の自炊、カレーを作る

考えてみるとあす日本は体育の日の休日。おまけに特異日。晴れるのは間違いないだろう。
帰宅途中アモイ・ガーデンの電機店で電話を買う。1190HKDから少しも安くならなかった。

今日は自炊、カレーを作る予定だ。八百伴に材料を仕入れに行く。ジャガイモ、タマネギ、にんじん、肉それにエノキなどを買う。
作っていくと時間がかかるものだ。10時頃飯にありつく。味はまあまあ。ご飯の炊き方が柔らかすぎた。カレーのときはもっと硬い目が良さそうだ。たらふく食べる。4人分くらいありそうに見えたが結局半分以上食べてしまった。あと1食分にしては少ないかも知れない。
うどんを湯がいてカレーうどんにでもして食べようか、それとご飯をつければ2,3日後に食べられそうだ。
それにしても日本のときは少し自炊をやっただけなのに、けっこういける。とりあえず食べられるものを作っている。これなら続けていけるかも。
もともと中華料理が嫌いだった私。こちらへ来てからの毎日の中華料理メニューはつらいものがあります。対策としては日本料理屋へ行く、自炊をする、とかの選択をすることになります。日本料理屋は高いので頻繁に行くことができないので自炊で補うことになります。
昼食は会社の近くの飯屋で食べられるものを見つけて行くしかありません。しかしながらこちらでの食事は量がメチャ多いです。炒飯を頼むと日本での2倍から3倍の量があります。
ところで、香港や中国は炒飯の種類が非常に多いです。よく食べたのは
揚州炒飯 ・・・ ふつうの炒飯
福建炒飯 ・・・ あんかけ炒飯。椎茸とか、具も多いです。
印尼炒飯 ・・・ 印尼はインドネシアのこと。ドライカレー
西炒飯(西式炒飯)  ・・・ チキンライス。西洋炒飯ということでしょうね。ただ、店によって大きく味が変わります。ふつうの炒飯に赤い色をつけただけのところも多いのでおいしい店を探し出すのに苦労します。値段的にはふつうの昼飯屋だと当時で21香港ドル程度です。まあ300円というところ。量が多いので慣れないと食べ切れません。



香港ランタオ島(ディズニーランドのある島)・寶蓮寺の大仏。建立年代は新しいですが奈良の大仏よりも大きい露座の大仏です。船でランタオ島へ、さらにバスに乗りかえます(2000.7.23撮影)



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2006-09-12 コメント(2)

【22】  1996年10月11日(金)  香港ワーキングビザ取得

今日、香港のビザが取れたからと総務の小姐がパスポートを取りに来た。委任状にサインをして、彼女が入国管理事務所に行ってくれる。

彼女からパスポートを受けとる。ビザ証があった。1年間のビザ。

これで1ヶ月ごとに中国へ行かなくてもすむ。これから2週間以内にIDカードの申請をしなければならない。彼女が予約を取ってくれる。日本へ出張があるので10月23日2時45分のイミグレの予約を取ってくれた。これでIDカードが取れれば香港在住の手続きは1通り終わる。でも来年7月1日の香港返還以降はどうなるのだろう。

7時頃退社して湾仔へ英語の授業。英語は最近進行が早いように思う。今季の半分以上がすんだためだろうか。

授業からの帰りこの前バスで見た日本料理屋に寄ってみる。トンカツ定食。まず香港式のような感じでみそ汁が先に出てきた。つき出しに酢のキュウリがある。みそ汁を飲む。いける。キュウリもいける。日本でのものと遜色ない。本体に期待がかかる。
定食という名で想像していたものとは違って丼スタイルで出てきた。どんぶり飯の上にカツが載っている。
食べてみるとこれもいけた。店は小さいが中に日本人がいるのだろうか。このあたりには日本人も多いのだろうか、ナイトクラブの電飾に「クラブ」というカタカナが入っている。
定食は38HKD。サービス料1割をとられるかと思っていたら請求は38$ぽっきり。湾仔のときはしばらく通ってもいいかもしれない。ただし英語が終わってからの方が空いている。授業前の7時半頃通った時には行列ができていた。
だんだん香港の料理から遠ざかっていくような気がしてきた。
8月20日にビザ申請してから50日あまり。正式にはビザが取れるまで働くことはできないので気にはしていましたがこれで大手を振って...
今は香港もノービザで3ヶ月滞在できますが、1週間から始まり、当時は1ヶ月まで可能になったばかりでした。

香港に来てうれしかった(感動した)のは、香港で住居がもてた時(もちろん借家ですが)、銀行口座を持った時、ワーキングビザが取れた時、そしてあとは香港IDカードを持てた時でした。そのIDカードも間もなくとせまってきました。
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2006-09-13 コメント(0)

【23】  1996年10月13日(日)  安物と高級品

忙しい1日だった。

ヤオハンで買い物。今日の掃除に必要なものを買うつもりだったが前のアパート、アモイ・ガーデンの近くで見ていたより値段が高いものばかり。とりあえずゴミ箱(足でふたを開けるタイプのもの)や台所用品を少しだけ買う。もっと安いところがあるはずだ。

台所の掃除。床に水を流し洗剤を流してこする。アモイ・ガーデンの時もそうだったが水はけが悪く、排水溝はあるがほんの少しずつしか水が流れていかない。時間をかけてゆっくり流すと同時に、ほうきのスポンジ部分でバケツに入れていく。ある程度の所であとは自然乾燥を待つ。トイレも同じ方法で掃除。

駅の反対側へ店を探しに行く。「庶民的」な値段のものがあるはずだ。ゴミ箱も安いものがあった。ヤオハンで$147で買ったのがここでは$85のものが売られている。しまった。

5時を過ぎたころ地下鉄で油麻地の夜店と尖沙咀へ。東京出張のあと帰省するにあたって何かおみやげがいる。
歩き回るが思うようなものが見つからず、とりあえず今回はキーホルダーだけを買うことにした。空港で買うと$40、でも街で買うと安いはず。見つけた店で店員に値段を聞くと$40と言う。「高い!」といって立ち去ろうとすると、いくらなら買うかと聞いてくる。$20で突っぱねると店員はすぐ20でOKした。
在庫があまりないらしい。かき集めて14個買う。EPSが使えなかった。やっぱりここは観光地かと。
ある女性店員が「Do you live in HongKong?」と聞いいてきた。そうだというとうれしそうな顔になった。
とにかく今日は疲れた。MTRで帰る。
香港でも深圳でもそうなのですが、同じような製品でも安物と高級品があってもし貧乏なら貧乏なりの生活ができるようになっているように思います。もちろん、安物の場合、品質もそれなりのことも多いですがとにかく安い生活も可能だと言えます。

で、どれをいいもので揃え、どれを安物で経済的にすませるかということが、上手に豊かに過ごせるかという基本のように思えます。初めはいろいろ授業料や努力が必要でしょうが、その内意識しなくても上手な生活ができるようになるというものです。

私が香港で生活し始めた1996年にはすでにキャッシュカードで買い物ができていました。
EPSと呼ばれるサービスでキャッシュカードの裏にEPSの表示があります。
 → 香港の銀行中国の銀行 



あまりクレジットカードを好まない私には大金を持ち歩かなくていいので重宝しています。ただ尖沙咀のような観光地の店では使えないことが非常に多くて困りましたが、ふつうの生活圏ではほぼ使用できます。

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2006-09-19 コメント(2)

【24】  1996年10月15日(日)  お国訛りいろいろ

午後7時過ぎ退社、湾仔へ英語のレッスン。ほぼぎりぎり。久しぶりに韓国人の金さんが来ていた。

日本では米語だがここでは英語なので発音もかなり違う。辞典を引くと英国、米国の発音記号がよく出てくる。以前はあまり気になったことがないが気になりだした。

前回のレッスンで、階のFloorが米ではフロア、英ではフローとなっていたし、ややこしい。台湾訛りの北京語、広東訛りの北京語というようなものか..

香港人(中国人も同じように感じるが)は濁音の区別が違う。「だ」と「た」の区別ができない。日本人がLとRを区別しないように。名前に濁音系が入っている時スペルを間違えられやすい。中国語式に有気音と無気音の区別をしなければならないようだ。
ほかに「ヴ」と「フ」の区別もある。moveも香港人が言うとムーフに聞こえる。

地下鉄での帰宅中、乗り過ごした。
日本で生活していると外来語、特に米語が氾濫していますので、日本人が英語がわからないと言ってもかなりのレベルで知っているものです。中国人が英語がわからない、と言えばそれは全くわからないと同じ意味になりますし、香港人のそれは日本人に比べてはるかにわかっている感じがします。
「英語がわからない」と言ってもそのレベルには雲泥の差があります。ただし発音は別にして....

香港人、中国人もそうですが日本人がLとRを区別しないように、彼らは濁音を区別しません。日本で中国人をネタにしたコントなんかで中国人らしくするために濁音無しで話すような感じです。
前に香港人と日本語の話題になった時、おごる(食事をおごるとかのおごるです)と怒るの話で彼は言いました。
「同じ発音で2つの意味があるのか?」と。

その代わり、中国語には有気音と無気音というのがあります。有気音は発音する時に息も一緒に吐き出すもので力強い発音になります。これが日本人には難しく気を抜いていると区別も難しいです。
英語を学ぶ時、これらの発音の差を感じるようになりました。
笑い話みたいですが、日本人には日本人が話す中国語がわかりやすいのです。私だけかな...



水上レストラン

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2006-09-20 コメント(0)

【25】  1996年10月23日(水)  IDカード申請 小切手

今日は盛りだくさんだった。

仮ID証
まず入国管理事務所でIDの申請を行う...

2時過ぎおなじみとなった総務の小姐がこれから行くと誘いに来る。以前に場所を下調べしておいたので簡単に入国管理事務所支部へ。
受付へ。書類をもらってしばらく待つ。何かアナウンスがある、広東語。彼女が行けと言う。見ると写真を撮るようだ。一人で写真室へ。写真を撮ったあと何か言われるが、訳がわからずうろうろしていると指をつかまれて親指の指紋を採る。

他の人の様子をみていると指紋を採ったあと部屋を出て行くので僕も出て行く。
彼女は終わったかと聞いてくる。たぶんと答える。しばらく待つと僕の名を呼ぶ声が聞こえる。
二人で窓口に向かう。初めてのIDかと聞いているようだ。彼女がそうだと答えてくれる。さらに申請書の「このサインはあなたのものか?」と言う。そうだと答えて所定の位置にサインをする。このごろはサインも板に付いてきた。
これで一応終わり、あとはテンポラリーの身分証が発行されるのでしばらく待てとのことだ。

しばらく待つと日本人どうのこうのというアナウンスが聞こえ赴くとテンポラリーの身分証がわたされる。何かいろいろ言ってくるが彼女が替わって聞いてくれる。
とにかく終わった。一人で来ていたら英語の時の二の舞になっただろうなあ。言葉ができないのは辛い。
僕の小切手帳が...
古いアパートの住所で銀行から小切手帳を送ってもらったため、受取人不明で銀行に送り返された。銀行からの連絡を受けて会社のR小姐がとってきてくれた。
30枚綴り。僕の名前も印刷されている。「フフフ」思わずにやけてしまう。
出張精算の小切手を持って銀行へ...
会社から以前の中国出張費の精算分のお金を現金でなく小切手でもらう。香港ではふつう出張旅費の精算に限らず給料の振り込み以外、現金の授受はなく全て小切手で受けとるのだそうだ。
で、小切手を持ってお金を受け取りに銀行へ。
小切手とパスポートを出す。何か言ってくる。困った。この小切手は別の銀行のものなのでここでは換金できないと言っているように思えた。アカウントがどうのこうのと言うのが聞き取れたのでキャッシュカードを見せるとそれだと言っているようだ。どうやら小切手の金額を振り込むらしい。まあ何とか手続きを終える。
ワーキングビザ取得後2週間以内にIDカード申請をしなければなりません。無料。

小切手は2本の線が入っているcrossed cheque(米語check)と言われるものでわたされます。これは直接現金でもらうことはできず、自分の銀行口座に小切手の金額を振り込むことになります。そしてこのお金はすぐに使用できません。小切手のチェックがすんだあと、使用できるようになります。銀行側での小切手の処理に1-2日かかります。

日本では小切手に縁などあるはずもなく、知らずに現金をもらえると思って銀行に行ったためのごたごたでした。
でもまた1つ要領がわかりました。
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2006-09-26 コメント(0)

【26】  1996年10月27日(日)  非常ボタン?

昨日夜8時半と早く寝たため、朝4時半に目が覚めた。寝てから8時間後。トイレに行ってから2度寝。起きたのは10時過ぎ。今日は掃除と部屋の整理をしなければならない。

前から考えていたように洋服ダンスの上の戸棚に冬用の布団などを整理して入れ洋服ダンスの空いた棚に本を並べて入れる。ロッカーになっている部分は適当に整理箱として使用。

ロッカーに赤いボタンがあり何かと思っていじくっているうちに押してしまう。ボタンは押されたままでもとへ戻そうとしても戻らない。すぐにインターホンがかかってくる。訳のわからない言葉。しばらくすると怒ったようなガードマンがやってくる。ボタンを解除するため鍵を使った。「これは非常ボタンだから使うな」と言うように出て行った。 あーあ。
 備え付けのタンスの中に何か赤いボタンが隠れるようにありました。何だろうと思っていじっている間にON。これが非常ボタンとは思いもよらないことでした。でもこれはセキュリティだけの使用だけでなく、急病とかにも利用できるな、と。
でも念のため、ボタンの上にテープを貼ってうっかりミスを防止するようにしました。


上水 (2006.7.21、9.26撮影)

鉄道から深圳への入り口、次の駅はイミグレ駅、羅湖


上水駅コンコースにできた吉野家 奥行きがあります








24時間オープンのイミグレ落馬洲(皇崗)へ行くミニバス(落馬洲へ5元)の停留所


不動産屋の張り紙 中国に比べてメチャ高 でも上水付近は安いのですが...


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2006-09-27 コメント(0)

【27】  1996年11月1日(金)  今日から11月

今日から11月、日記帳が新しくなり161ページ目。
夜は涼しくなったが昼食時に外へ出るとまだ太陽の日差しは強い。日本なら9月頃の雰囲気だろうか。初めての香港生活、先輩たちは冬は寒いというが想像できない。

今日未明、4時頃電話がかかってきた。出ると応答無し。今回新しく電話番号をとっているので前の住人と間違えたということはないはずで気持ち悪い。寝付かれなかったのにこの調子であまり眠れなかった。

英語の授業で湾仔の駅を出るとクラスのシャーマンと会う。彼は続け様に英語で話しかけてくる。積極的だ。仕事上外人とのつきあいが多く英語が必要なのだそうだ。名刺をくれる。学校に着いて名刺を見るとDirector(取締役)になっている。以前は確かManager(課長)と話していた。役が上がったようだ。服飾関係の仕事みたい。クォーリーベイに住み観塘に車通勤しているようだ。僕も名刺を渡す。話し出すと僕の場合、北京語が混じってしまう。

帰りはいつもの日本料理屋。ウナギを食す。58香港ドル。もう店員とも顔なじみになったのかも知れない。
英語であれ何であれ、仕事外で活動をすると当然のように仕事に関係のないいろいろな人と知り合ったり付き合ったりするきっかけになります。
そういう人たちと話をすることで新しいことを知っって驚いたり喜んだりするものですが、外国に来ている場合は驚きや喜びが普通ではありません。とてもエキサイティングで楽しく感じていました。

香港ビクトリアピークの夕暮れ (2000年3月4日撮影)
18時33分


18時35分


18時35分

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2006-10-03 コメント(0)

【28】  1996年11月3日(日)  大きな絵を買う

買い物に出る。家庭用品も必要だし、絵もほしい。
観塘で下車。少し街を見て回る。絵を売っているところは見あたらない。
そこそこにして再びMTRに乗る。この前行った銅羅湾に行ってみることにした。大丸、そごう、三越のあるところ。日本のデパートは高いだろうから入らない。
華潤百貨というところに入る。日本系の百貨店とはうってかわる。地元の百貨店という感じ。客も地元という感じがする。この方がなんか楽しい。
中国の物産らしいものを売っているフロアがあった。両面刺繍などあるが非常に高い。小さな置物でも200-300-400ドルもする。
学校の同窓の土産にすると少し高い。何しろ数が多いし。
絵があった。吟味したあげく1mぐらいの幅のものを買うことにした。880ドルとある。小さなものは600ドルぐらいだった。これくらいの大きさの方がいいと判断した。ディスカウントで10%off。キャッシュカードのEPSで買う。
部屋に飾ってみるとけっこういける。しばらく楽しい。1m x 70cmだった。

買った絵


やっぱり部屋には絵とか彫刻があると雰囲気が変わります。
日本にいる時から鑑定団なんかをTVで見ていたりすると中国の骨董は偽物だらけ。で、見る目を持たないものを買う時は、安物で自分の気に入ったものを買うに限ります。でもやっぱり安物は安物なんですけどね。
手書きは手書きなのですが、大量生産みたいであまり心を感じないです。
ま、おにぎやかしということろです。

2002年から3年あまり住んでいた牽晴間を紹介します。牽晴間はヒンチンカンと発音します。
→ 牽晴間航空写真 

中国(深圳)の仕事が多くなってきたので意を決して深圳に近い粉嶺にある牽晴間(Dawning Views)というきれいな名前のマンションに2002年4月に引っ越し。ここで3年あまりを過ごしました。

KCR(深圳へ行く鉄道)の粉嶺駅 3 ~ 5分間隔で12両編成の電車が来ます


牽晴間とKCR線路
ほんとうの田舎の中に30数階建てのマンションがずらーっと並びます香港中心部から夜にKCRに乗ってくると、だんだん景色が暗く漆黒のようになってしばらくするとパーッと派手に明るくなってこのマンションが見えます。旅行気分ですかね...




マンションの2階部分にある庭園


クラブハウス プールや卓球場、PC練習室、図書室などがあります


リビングからの眺め


近くのマンションにあるバス停


一足早くここにマンションを購入した香港人の友人がいろいろ助けてくれました。
新しいマンションで当時の香港は空調がウィンドウタイプが主流だったのにここではセパレートタイプ、バスと台所の給湯器もデジタルタイプで温度を設定する方式でした。
部屋が狭いことを除けば快適でした。部屋は533スケア・フィート、48㎡。契約当時の家賃は5600香港ドルとそれまでの滙景花園の半額。以後、相場が安くなったので交渉して4900香港ドルにしました。

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2006-10-04 コメント(0)

【29】  1996年11月10日(日)  バス停探索、初餃子作り

今日は夕方4時から友人宅で餃子パーティーをする。彼は日本人、細君は日本語ぺらぺらの中国人(広東人)。

時間があるので近くのバス停の確認と、何か買い物。
滙景花園(マンションの名前)付近はは土地の上下がほんとうに多い。近くのバス停を探すと言っても上がり下がりがきつく歩くのは少し骨。
滙景花園の1階にあるヤオハンから長いエスカレーターを2つ乗り継ぐ。6階ぐらいは登ったような感じ。外へ出るとそこから道は急な下り坂。バス停はいろいろあるが中止と書かれているものがあり、どれが活動中なのか難しい。
尖沙咀の文字は見えない。どのバスが尖沙咀へ行くのだろう。僕の棟の近くのバス停にそれらしいのがあったが一度乗ってみるしかなさそうだ。とって返す。

ヤオハンの入り口付近にあるマクドナルドから下へ行くエスカレーターに乗る。下に本屋とバス停がある。本屋へ入って文房具を見る。まあまあ安そうな感じがする。西村由紀江のCDが売っていた。日本にいた頃、TV番組「アジア・ライブ」で知った人物、大阪出身のきれいなピアニスト。「親愛的亜州」と言う文字を見て買う。103香港ドル、1500円。ほかに少し文房具を買いクリーニング屋へよってマンションに戻る。

友人に電話でこれから行くことを伝え家を出る。
友人宅は同じ滙景花園で2つ向こうの棟。少し話をしたあと餃子作りが始まる。

小麦粉を水で溶いて練るがなかなか力がいる。長く続かない。このあと家に帰って自分で作ってみようと言う気はなくなった。
餅つき器は使えないだろうかとか楽をするような方向で考えてしまう。その間に細君はタマネギを切り肉を用意して具を作る。タマネギをかなり細く切るので目をしょぼしょぼさせて台所から出てきた。
タマネギと肉を混ぜ塩で味付けして彼の手でこねる。一応これで準備は終わり。
細君が皮を作る。練った小麦粉を小さく切り取って棒で広げていく。彼が具を入れ僕が袋にする。まあまあ。25個くらいできた。あとは再び細君が台所に入り準備。
中国ではどうも餃子パーティーというのは、バーベキューのようにみんなで楽しく準備をして最後に皆で食べるというもののようだ。
それにしても力がいる。
ほんとうに香港はエスカレーターが普及しています。歩くのは水平に歩くだけでよく上下にはエスカレーターが必ずあるという感じでした。
香港へ来てからは階段を上る、ということがめっきり減り、運動不足を真剣に気にしまして、エスカレーターを乗らずになるべく階段でと思ったのですが、空しい抵抗でした。エスカレーターしかないところがあまりにも多いのです。歩くに歩けないのです。いつしか風土に染まってしまいました。

香港・尖沙咀


今は常識化しているようであまり見かけなくなりましたが、エスカレータではマナーにも気を遣っていて、エスカレーターには「右によって立ちましょう」と書いてありました。
香港もイギリスの影響で人は右側通行ですので左をあけるように、という注意です。書いてあると効果は大きくて、混んでいる時以外はちゃんと左側が開けられています。
ま、これは近畿も同じなので当方も自然にそうなるので問題はありません。

深圳では残念ながらこのエスカレーターのマナーには関心がないらしく...
ただ羅湖駅で地下鉄を降りて香港のイミグレに向かうエスカレーターは香港人が多いことを反映してか右によって立つ人を多く見かけます。
でも中国では香港とは逆に左に寄って立つのが正しいと言うことになるのでは....
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2006-10-11 コメント(0)
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