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回帰香港 1997

(2006年 07月 17日)
回帰香港1997

1997年7月1日、香港が中国に返還されて9年経ちました。来年は10周年で何かイベントでもあるのでしょうね。

香港が中国になったとはいえ、中国と香港を往復する外人には変化がありませんでした。イミグレーションの手続きは外国を行き来することで、それまでと全く同じでした。
変わったことと言えばそれ以後、外人が香港永久性居民証をとれるようになったこと。

香港のワーキングビザをとるためには所属する会社の保証が必要です。これはたぶん税金の問題があると思います。本人が税金を納めないと会社が責任を持たなければなりませんから。

それまでは正規で香港在住7年を経過すると、会社の保証無しでビザが自動的に与えられるシステムでした。ただし、1年に1日は香港に滞在する必要があります。これがその後、 永久性居民に変わったのです。
返還によって大きく変わったのはイギリス人だと聞きます。ま、当然でしょうね。それまでの特権は全てなくなったようで、この永久性居民の変化はこれと何か関係があるのでは、 と勘ぐったりしています。
香港島を望んで記念の花火の打ち上げ




当時の私のコレクションの一部です 地下鉄の記念乗車券(当日の1日券)切手セット


回帰香港1997-2007 香港返還からもうすぐ10周年 - 返還前夜アルバム (2007.6.17)

1997年7月1日香港が中国に返還されてもうすぐ10周年。
50年間香港の体制を変えないという条件のものと1997年7月1日、雨の中、中華人民共和国香港特別行政区が誕生しました。

私が友人の誘いで香港で働くのを考えていた時・・・
その期日に香港返還の1年前を選びました。返還前後の歴史的な様子を肌で感じるためでした。
あれから10年。


返還にあやかって、たくましくもいろいろなビジネスがありました。
返還前日、香港は涙雨(?)。友人が夫人を伴って日本からやってきました。しかも船で。豪華客船「ふじまる」の香港返還記念クルーズが企画されてそれに乗ってやって きたわけですが・・・
夫婦二人で100万円以上かかるだろうと思いきや、なんと無料!

モニターとして選ばれたとのこと、インタビューを受けたり、旅行後の旅行記を提出することを条件にすべてタダ!うらやましい。

彼らは正装してペギー葉山と一緒に記念写真を撮ったりして楽しんでました。
で、私もそれにあやかって船の中を見学、夜食がありました。来訪者ということでタダ。





回帰香港1997アルバム 1997年6月30日

1997年6月30日の日記から
尖沙咀はカウントダウン間近。大勢の人でごった返しているが、香港人の心情を表すのか、盛り上がりは足らなく感じた。人が出ているようで少ないから。 少しぶらぶらして、豪華客船「ふじまる」を目指す。豪華客船の「飛鳥」とは隣どおしで停泊している。

僕は船に乗れないと思っていたら来訪者ということで入れるようになった。中で夜食のそばを食べさせてもらう。デッキに出ると、香港島のイルミネーションがきれいだ。 写真を撮りまくる。
11時半下船、タクシーで滙景花園へ帰る。
写真はすべてフィルム写真をデジタイズしたものです





客船 「ふじまる」


「ふじまる」のキャビン


回帰香港1997-2007 香港返還からもうすぐ10周年(2) - 返還日アルバム

(2007年 06月 18日)
まずは香港占領から返還までの経緯を

イギリスのアヘン戦争による香港占領
1840-42年

第一次アヘン戦争

1842年
南京条約(不平等条約)
①イギリスの香港島領有権 ②2100万ドル賠償金 ③広州、上海、寧波、福州、アモイの五港の開港

1843年
追加条約
①清朝は関税自主権の喪失 ②領事裁判権と開港場における土地賃貸権の容認 ③最恵国待遇

1844年
アメリカ、フランスと同様の不平等条約

1856年
第二次アヘン戦争(アロー戦争)

1858年
天津条約(不平等条約)
①アヘン貿易の合法化 ②賠償金400万両 ③フランスへ200万両の支払い ④南京、漢口など10カ所の開港 ⑤外交使節の北京常駐 ⑥イギリス人内地旅行の自由 

1860年
第三次アヘン戦争
北京条約(不平等条約)
①英仏に各700万両の賠償金 ②イギリス・九龍半島先端部の獲得 ③中国人労働者(苦力)の渡航の公認(奴隷売買)

1898年
イギリス・235の島、九龍半島のすべてを含む新界地区99年の租借
  


返還に向けて

中国とイギリスとの香港返還交渉は1982年から開始、1984年に終結。
1990年
香港特別行政区基本法制定

1997年7月1日
香港返還



あらためて年表にしてみるとすさまじい歴史です。ほんとうに賠償金って何なんでしょうね。英仏のやりたい放題言いたい放題と言う所でしょうか・・・恥も正義も何もない・・
年表を作るに当たっていろいろ資料を調べましたが耐えられない記述がどんどん出てきて途中で投げ出してしまいそうでした。

それにしても香港人の心情も複雑です。何しろイギリスの教育を受けてきたわけですから・・・
香港人の返還に対する心情はかなり変動していました。今はほとんど落ち着いた印象はありますが、まだ中国をいやがる香港人に会うことがあります。ま、 これは好き嫌いの問題ですからしょうがないと思いますけど。

回帰香港1997アルバム 1997年7月1日

1997年7月1日の日記から
今日も乗客のビジターとして僕も乗り込む。もうこの船も慣れたようだ。
それにしても彼らは服をたくさん持ってきている。船からはケースバイケースでタキシード着用の指定があるらしい。

6時船内のレストランへ。ビジターも無料。4人で食卓を囲む。食後上層の珈琲ラウンジでお茶を飲んでいるうちに9時になる。そろそろ花火が始まる。デッキへ出る。

しばらくするといろいろな絵を電球で形取った船が九龍側からゆっくり動いて香港島まで一回りするように進む。それがすむとそろそろ花火。
目の前にある4艘ほどの船から花火が打ち上げられる。香港島の方からもどんどん打ち上げられた。まったく目の前での花火だ。
ものすごい迫力で迫る。大型の花火が連続して売り上げられると銃撃戦ならこんなものかと思わせるほどの振動と音が身近に迫る。晴れていた空はたちまち花火の煙に包まれ、 風のない中、花火も見えにくくなる。
とにかくこんなに近くで花火を見るのは生まれて初めて、音と振動で少し怖くなることもあったが興奮したようだ。10時過ぎまで花火は続いた。

船を出たのは10時半ごろだっただろうか。
MTRの駅へ向かう。びっくり。入り口の前で信じられないほどの行列。バスもタクシーもないため、みんな地下鉄に殺到しているらしい。他の入り口も皆同じ。あきらめて行列に加わる。
油痲地で乗り換え家に着くと11時半になっていた。
当日の写真はフィルム写真をデジタイズしたものです









「ふじまる」から


返還記念グッズ コレクション


フェリー乗り場で配られていた号外 蘋果日報


フェリー乗り場で配られていた号外 香港商報

林則徐とアヘン戦争と日本  (2006.10.15)

こういう話題はあまり取り上げたくなかったのですが、香港、深圳で長く住んでいるとどうしても看過できない話題と思い、歴史を確認することにしました。

香港がイギリスに占領されるきっかけになったのがアヘン(麻薬)戦争です。
イギリスは中国との貿易の赤字を補うため中国で禁止されていたアヘンを中国に輸出、これを欽差大臣(中央の指示を仰がずに処理できる権限を持つ大臣)となった林則徐が指揮を執り約2万箱のアヘンの海中投棄を実行、その後、林則徐はアヘンを持ち込まない誓約書の提出を条件に広州における貿易の再開を認め、アメリカなどはこれに応じましたがイギリスは提出せず、これ以後にアヘン戦争へ突入。
結果はイギリスの勝利で1842年8月の南京条約でイギリスに香港島の領有権をわたしました。
さらに1856年、アロー戦争があり、イギリスはアヘン貿易を合法化させ、1860年には九龍半島の先端部を占領、さらに九龍半島の全てを含む新界地域が99年の租借となった。
フランスとはどういう関係になるのかまだ調べてないのですが、これらの時フランスにも多額の賠償金を支払っています。

参考文献  アジア史の真実  中名生正昭著 南雲堂 1997年
深圳博物館

そしてこのアヘン戦争の資金を融資した銀行が香港で紙幣を発行しているHSBC(香港上海滙豊銀行)です。そのため中国は久しくHSBCを嫌っていたようですが和解したと聞きました。今は深圳にもHSBCがあります。

返還前、香港人にアヘン戦争を知っているかと聞いたら、知らないと言ってました。TVのインタビューで当時の香港パッテン総督は「現在、アヘン戦争を正当化することは誰にもできない」と言っていたのに...

日本は黒船来襲で鎖国を解き不平等条約を結んで開国したのですが、この時すでにアヘン戦争のことを知っていたため、アヘンは取引しない条項が入っていました。

江戸時代、日本が鎖国を宣言した時は戦国時代の影響で日本には10万丁の鉄砲があったと言います。軍事大国だったわけで鎖国を宣言すればそれで良かったのですが、黒船来襲の頃にはすでに時代が変わっていて不平等条約を受け入れなければならなくなっていたのです。

アヘン戦争もそうですが全ての戦争には年表には載らない、尋常でない庶民の苦しみがあるのです。そんなことを知るたびに怒りがこみ上げてきてしまいます。もう悲劇の起こらないことを祈って....

2024_04


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