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2006-07-25  カテゴリ: 香港初在住日記 1996-1998

《香港初在住日記》(7) 疲れた深圳の休日 (1996-8-26)

【7】  1996年8月26日(月)  疲れた深圳の休日

香港に来る前の会社にいた頃は年に1ヶ月足らずの期間、中国工場(東莞の田舎)に出張していたので深圳は通過するだけでしたが、これからはじっくり付き合っていくことになります。

香港に来て初めてプライベートで深圳入り。
イミグレーションは今よりはるかに時間がかかります。今は香港人のイミグレ通過は一瞬と思えるほど早いですが、以前は何かのイベントの日など数時間かかることも珍しくなく、そのとばっちりを外人である私たちが受けていたのです。

2001年10月の国慶節。2時間待ち状態


この頃はイミグレも狭くて少し人が入ればいっぱい。
私が待った最高は...
1995年6月に出張した時、香港側でKCRの改札制限を受け切符を買うのに1時間以上かかる状態で、中国に抜けるのに半日かかりました。
三連休最終日。12時半、香港側イミグレ通過、至極順調。中国側へ入ると健康申告用紙が変更されていて、入国カードと健康申告票が一緒になってコピー式になっていた。
イミグレへ行くと...今まで見たことないような行列。窓口ははるか向こうで見えない。うんざり。
イミグレを通過して深圳入りできたのは1時間半後の2時。はあ。
駐車場の近くでCD、VCDを買う。CDは15元、VCDは2枚組25元。2年前、VCDは1枚55元もしていたのに。

遅い昼食のため、粤海酒店にある日本料理屋へ。でも..イミグレで手間取ったおかげで開店時間を過ぎていた。

外に出るといきなり香港人らしい大柄の男性が広東語で道を聞いてきた。広東語がわかるはずがなく乏しい北京語の知識から「不明白(判らない)」というと、相手はポカーとしたまま。僕が中国人に見えているのか香港人に見えているのか....

街を歩き回る。それにしても昔はお金をねだる子供が良くいたのに全く見かけないし、以前は服装で香港人と中国人の区別ができたのに、今は見分けるのが困難だ。中国も急速に変わっている。

また広東語で話しかけられてきた。もうええやろ。彼はきっちりした身なりでビニール袋を取り出した。金(きん)が入っているようだ。金の売買?「不用」と言って立ち去る。

人が多かったので、早い目に香港に戻ることに。おかげでイミグレは比較的順調にすんだ。
KCRから地下鉄に乗り換え。待っていると、また広東語で..おばあさんだった。つっけんどんにはできないので判ろうと聞いてみるがやっぱり判らない。ここでも「不明白」と北京語で。
でもどうして今日はこんなに...自分の身なりを見てみると..中国で買った20元のTシャツにカラージーンズ、サンダル履き..しょうがないのかなあ
今のオクトパスに替わって当時香港で使用されていた70ドルと100ドルのプリペイドカード(あと50ドルもあったと思います)と羅湖へのチケット、それに片道切符。磁気カードでそれぞれ回収後再利用されます。100ドルのプリペイドカードは駅の自動販売機でキャッシュカードで買うことができました。



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