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2006-10-11  カテゴリ: 香港初在住日記 1996-1998

《香港初在住日記》(29) マンション近くのバス停探索、初餃子作り (1996.11.10)

【29】  1996年11月10日(日)  バス停探索、初餃子作り

今日は夕方4時から友人宅で餃子パーティーをする。彼は日本人、細君は日本語ぺらぺらの中国人(広東人)。

時間があるので近くのバス停の確認と、何か買い物。
滙景花園(マンションの名前)付近はは土地の上下がほんとうに多い。近くのバス停を探すと言っても上がり下がりがきつく歩くのは少し骨。
滙景花園の1階にあるヤオハンから長いエスカレーターを2つ乗り継ぐ。6階ぐらいは登ったような感じ。外へ出るとそこから道は急な下り坂。バス停はいろいろあるが中止と書かれているものがあり、どれが活動中なのか難しい。
尖沙咀の文字は見えない。どのバスが尖沙咀へ行くのだろう。僕の棟の近くのバス停にそれらしいのがあったが一度乗ってみるしかなさそうだ。とって返す。

ヤオハンの入り口付近にあるマクドナルドから下へ行くエスカレーターに乗る。下に本屋とバス停がある。本屋へ入って文房具を見る。まあまあ安そうな感じがする。西村由紀江のCDが売っていた。日本にいた頃、TV番組「アジア・ライブ」で知った人物、大阪出身のきれいなピアニスト。「親愛的亜州」と言う文字を見て買う。103香港ドル、1500円。ほかに少し文房具を買いクリーニング屋へよってマンションに戻る。

友人に電話でこれから行くことを伝え家を出る。
友人宅は同じ滙景花園で2つ向こうの棟。少し話をしたあと餃子作りが始まる。

小麦粉を水で溶いて練るがなかなか力がいる。長く続かない。このあと家に帰って自分で作ってみようと言う気はなくなった。
餅つき器は使えないだろうかとか楽をするような方向で考えてしまう。その間に細君はタマネギを切り肉を用意して具を作る。タマネギをかなり細く切るので目をしょぼしょぼさせて台所から出てきた。
タマネギと肉を混ぜ塩で味付けして彼の手でこねる。一応これで準備は終わり。
細君が皮を作る。練った小麦粉を小さく切り取って棒で広げていく。彼が具を入れ僕が袋にする。まあまあ。25個くらいできた。あとは再び細君が台所に入り準備。
中国ではどうも餃子パーティーというのは、バーベキューのようにみんなで楽しく準備をして最後に皆で食べるというもののようだ。
それにしても力がいる。
ほんとうに香港はエスカレーターが普及しています。歩くのは水平に歩くだけでよく上下にはエスカレーターが必ずあるという感じでした。
香港へ来てからは階段を上る、ということがめっきり減り、運動不足を真剣に気にしまして、エスカレーターを乗らずになるべく階段でと思ったのですが、空しい抵抗でした。エスカレーターしかないところがあまりにも多いのです。歩くに歩けないのです。いつしか風土に染まってしまいました。

香港・尖沙咀


今は常識化しているようであまり見かけなくなりましたが、エスカレータではマナーにも気を遣っていて、エスカレーターには「右によって立ちましょう」と書いてありました。
香港もイギリスの影響で人は右側通行ですので左をあけるように、という注意です。書いてあると効果は大きくて、混んでいる時以外はちゃんと左側が開けられています。
ま、これは近畿も同じなので当方も自然にそうなるので問題はありません。

深圳では残念ながらこのエスカレーターのマナーには関心がないらしく...
ただ羅湖駅で地下鉄を降りて香港のイミグレに向かうエスカレーターは香港人が多いことを反映してか右によって立つ人を多く見かけます。
でも中国では香港とは逆に左に寄って立つのが正しいと言うことになるのでは....
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2006-10-11 コメント(0)

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