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2006-12-27  カテゴリ: 香港初在住日記 1996-1998

《香港初在住日記》(51) 中国東莞工場で(第5日目) 近くの町へ (1997.1.22)

【51】  1997年1月22日(水)  中国東莞工場で(第5日) 近くの町へ

退社後、日本人Mr. Kが車で「太平」(工場から比較的近い所にある町)へ行こうと言う。香港人も一緒に7-8人を乗せ会社の車で太平へ向かう。
まずジーンズ店へ、僕もひとつ買うことにした。145元。人民元でないとだめらしい。香港ドルしかないので両替してもらう。あと10分ぐらいで裾直しができると。

テレビが数年前よりさらに安くなっている。ビデオ付きでも4300元程度で売っていた。数年前は25型が6000元を超えていたのに。町にも物が溢れている。ステレオセットがたくさん並ぶ。ここでも日本ブランドが幅をきかす。

歩くと花を手に持った子供達が集まる。商売と言うか何というか・・逃げるのに必死になる。香港人はすごみをきかせて子供達を追い払っているが、僕にはできない。手を振ってバイバイする。子供はしつこく足に抱きついてくる。こうなると逃れるすべはない。香港人が追っ払ってくれる。
でも要領がわかった。最後に足に抱きつかれないうちにどこかの店屋に入ればいいのだ。店へ入りかけると子供達は離れる。
ほかにもものもらいの人がたくさんいるようだった。これだけいると言うことはこれでも一種の商売になるということでそれだけ恵む人も多いのだろう。

Mr. Kの提案で飲茶に入る。彼はゲストハウスの食事とは違い食欲旺盛だ。これを終え、香港人達はマッサージに行くようだ。僕も行きたいと思うが、明日のことを考えてやめる。

帰ると別の日本人につかまり、ビリヤードを付き合わされるハメに。あああ、したくないな、遅いから。もう10時半だ。しょうがない。
1巡して終えるともう一度という。だめだこりゃ。Mr. K は適当に交代して部屋に行く。くそっ。
結局部屋に入ると1時15分。風呂どうしようか、結局入る。
ゲストハウスは工場内にあり、食事も洗濯、掃除もまかないで、どこへも行くことなく生活ができるのですが、それでは息が詰まります。タクシーも来ない所なので、時々こうして車を段取りして町へ出かけるわけです。町へ出ると帰りはタクシーで帰れますから。町へは車で10分あまり。
今は見かけることが少なくなったこういう子供達ですが・・・
どうしてこんな子供にこういうことをさせるのか、と思っていたのですがいろいろあるようです。子供の方が情に絡んで稼ぎやすいのでしょう。


「高級社員食堂」


工程部(技術部)





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