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2007-01-10  カテゴリ: 香港初在住日記 1996-1998

《香港初在住日記》(55) 中国工場から12日ぶりに香港へ-海鮮料理 (1997.1.29)

【55】 1997年1月29日(水) 中国工場から12日ぶりに香港へ - 海鮮料理

イミグレではスムースに進み夕方5時15分頃KCRに乗り込む。藍田の家には6時過ぎ到着。
H氏の奥さんJH小姐(広東人)に電話するがいない。日本の私の家族や友人に電話。明日から東京で仕事をした後、奈良へ帰省することを伝える。電話を終えご飯を炊き始める。

7時半頃JH小姐から電話。今ヤオハンから帰ってきたらしい。これからこちらに向かうという。海鮮料理の店へ行こうと。OK。しかし炊き始めたご飯はどうなる...ははは。

8時半頃、僕の家に3人でやってきた。北京人YY小姐とその友達と一緒だ。友達は○○さんと言うらしい。少しだべってタクシーで。15.2ドル本当に近くのようだ。
威勢のいいおばちゃんと何を食べるかごちゃごちゃ交渉。広東語、普通語、日本語が飛び交う。

なかなかまけてくれそうにない。中に入ってYYが再交渉、僕が香港に住んで働いていると言うと相手の表情が変わる。名刺を出すととでまた計算し直すと言ったらしい。へえー、そんなことが交渉の材料となるのかと感心する。ともかくも負けてくれることは間違いない。皆おいしいと言って食べてくれるのでよかった。ただカキはだめのようだった。まあそんなこともあるだろう。

マイタン(勘定)をする。861ドル。何か言ってるが聞いてみると、最低の値段で計算したのだそうだ。うん、よしっ。もう来ることはないのかも知れないが次もこの手が使えそうだ。
再び藍田に戻る。僕の家でお茶でもと言うが11時なので帰るという。JH小姐は自分の家に泊まって行けとYY小姐たちに言うが、彼女は遠慮してかホテルに帰るという。2人をMTRの駅まで見送る。
JH小姐が次回はホテルなんかに泊めずに自分の家に泊めたいと言う。
私の日本人の友人で2人の男性が中国人と結婚しています。1人は私を香港に呼んだH氏で奥さんがJH小姐で香港在住、もう一人は大阪で仕事をしていて、その奥さんがJH小姐の友人でYY小姐。彼女はもちろん大阪に住んでいます。
広東省出身のJH小姐は香港在住7年を過ぎて現在は香港に戸籍を持つ香港人となりました。パスポートも香港に変わり日本へのビザが不要に。

この日はYY小姐が大阪から大阪人の友人と2人で香港へ遊びに来ていたのです。JHの旦那はこの日は中国で仕事なので、私が彼女らとともに有名な鯉魚門へ海鮮料理を食べに行きました。JH小姐は私が初めて深圳を訪れたときに紹介されているのでもう5、6年のつきあいです。しかしながらこの3人の女性、身長が半端でなく高いのでバレーボールの選手の中にいるような気分。
いろいろな値段交渉があるものです。彼女らはさすがに中国人、様々な手で値切り交渉をします。私の名刺を出したのは肩書きを利用して以後の仕事での再来をにおわす作戦です。これが成功。普通あれだけの量を食べて1000香港ドル以下になることはありません。
以後も数度でかけましたがもうこの手は使えませんでした。(何しろほとんど行きませんでしたから)

1998年2月にフィルムカメラで撮影した海上生活をする島
(この日の海鮮とは関係ありません)


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