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2007-01-31  カテゴリ: 香港初在住日記 1996-1998

《香港初在住日記》(61) 鄧小平死去のニュース (1997.2.19)

【61】  1997年2月19日(木)  小平死去のニュース

今週から始まった有線の日本のドラマは2つともなかなか面白い。1つは医学生もの、1つはつんぼの男性の恋愛もの。
香港に来て日本語のドラマといえば、こちらが選ぶ余地はなく、あるものを見るしかないが、そうしていくうちにいろいろ感じることになった。
まず感受性が強くなった。時々白々しい部分もあるが、けっこう共感できること。涙もろくなっていること。日本にいる頃、東南アジアの歴史や過去の出来事の本などを読んでいるうちに人間性も養われてきたのかも知れない。でも性格は思うようにならない。感情が激しやすい。

小平死去のニュースをテレビでやっている。どうやらたった今死去したようだ。現在2月20日午前3時。これからも中国の政策にそんなに大きな変化はないと思うが香港返還を見ることなく死去したことに本人は無念なんだろうか。1904-1997とあるのは生涯。とすると93歳の大往生となる。
これで7月1日の香港返還の日に何か変化があるだろうか。あるような気がしないが次の実力者は...?
有線テレビのニュースチャンネルも一般のテレビもほとんど小平死去のニュースを伝えている。明日騒がしいかも知れない。
小平氏が1997年2月19日午後9時8分に死去しました。香港返還を実際に見てみようと1996年に香港に来て、もう一つの歴史的な出来事を香港で迎えました。

小平は四川省出身の客家。当時は広東省のボス、台湾のボスも客家。
香港に出てくるに当たって小平の新書本を読んでましたのであらましは頭の中にありました。数度にわたって職を追われ、逃亡生活では客家の村落にかくまわれたこと、深圳に来て「ここに香港を作れ」と言って深圳が経済特区になって発展のきっかけとなったこと。

当時、深圳は客家人がほとんどだと言うことですが、これにも関係があるのでしょうか。でも発展している香港の隣ですので不自然さはありませんが。
1979年の深圳の人口は31.4万人、ほとんどが客家。2005年6月の深圳は1200万人とも言われています。ただし深圳に戸籍を持つ人は170万人。

鄧小平死去を報じる20日付の香港の新聞。当時の新聞を買い置いたものです。


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