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2007-02-21  カテゴリ: 香港初在住日記 1996-1998

《香港初在住日記》(67) 通訳の面接 (1997.3.4)

【67】  1997年3月4日(火)  通訳の面接

さんざんな一日だった。
今日も中国工場。朝、総務のHSさんから通訳をしたいという人が今日面接に来るので応じて欲しいと言われた。なぜ僕が・・?と思ったが今日は開発部関係のエライさんが誰もいなくて僕が筆頭になるらしい。技術に入ってあなたのアシスタントになる人だからと言われて引き受けることにした。
中国人の外出許可にもサインさせられた。

採用のための面接と言うのは初めての経験。大丈夫かな。HSさんのはとりあえず入れればいいですよ、という。とりあえず入れてだめであれば首にすればいいとのことだろうが・・・・
今いる女性が3月15日で辞めるのでその代わりとのこと。

1人は通訳志望の男子。学校を卒業したばかり。話をするとCDプレーヤーという言葉もわからない。こちらからいろいろ質問してもわかっていないような気がする。直感的だめだとに感じる。HSさんに伝えると即行動。

つづいて女性。2年間日系企業で事務的なことをやっていたという。日本語もさっきの男子に比べて流暢。細かい話は無理だけど意欲はありそう。日本企業に入社したい目的が日本語を覚えたいそうだ。将来性は感じるが調子のいい所が気になる。
広瀬さんはこの女性が恵州出身で広東語が母語なので香港人とのコミュニケーションにいいのではという。なるほどそうだ。HSさんはいい人なのだろうと思った。

とりあえず香港に電話を入れる。誰もいない。後ほど電話があり、ごちゃごちゃ言っているが結局のところは僕の判断で決めればいいような感じ。

広瀬さんに気に入りました、と伝えるとこれまた行動が早い。彼女は以前の会社で1200元の給料だったと言っていることを伝えてバトンタッチ。今の小姐は1500元の給料らしい。
HSさんは日本人ですが戦争のため、中国生まれの中国育ちだとか。で、中国の事情には詳しいのです。
はっきりしている印象で、ポイントを心得た行動に感心させられた人です。私が呼ばれたときにはすでに面接の中国人に日本語の新聞を見せて翻訳させていました。なるほど、と思いました。さすがに総務です。

面接した女性は入社しました。日本語のレベルはまあまあで一応成功という感じでした。



これは当時の中国工場ではありませんが、工場がある所と言えばこんな感じのところが多かったのです。ここはかなり都会の方です。



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