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2007-05-16  カテゴリ: 香港初在住日記 1996-1998

《香港初在住日記》(89) 週明けの中国工場へ (1997.4.14)

【89】  1997年4月14日(月)  週明けの中国工場へ

いつものように朝7時15分ごろの地下鉄、MTRに乗る。九龍塘駅で深圳・羅湖行きに乗り換え中国へ。月曜日のいつものパターンだ。
今日は先週よりも羅湖のイミグレが空いていた。
8時40分、会社の車が待機している駐車場へ。香港人Tさん、Mさんはいつもながら早い。いつごろ着いているのだろう。羅湖で朝ご飯でも食べているのかな・・・
香港人相方はマイペース、僕より少し遅れてくる。日本人H氏もマイペース、Last one。
さすがに日本人らしく少し気が引けている様子、でも9時になっていないのだから・・

工場に着くと早速問題が待ち受けていた。いやな気分になるが自分の担当モデルでないので少しほっ。たいした問題ではなかった。スペック変更だけですます。

3時から新機構についての会議。オーガナイゼーション、配置転換の話。会議中いやな気分もあったが、心の中では不思議に冷静に判断している。

VCDの問題で上海から設計者がやってくる。日本人と中国人各1名。
H氏を含め4人で工場近くにできたバラック食堂で酒と食事。
11時に工場内のゲストハウスに戻り再び話が始まる。もうダウン寸前、お先に失礼して睡眠。
ウィークデイを工場で仕事、週末香港に帰る生活習慣となってきました。当時は賃金の安い中国へ工場を移す傾向が強くなってきて、どこの会社でもこういう形態が増えてきました。香港に来る前に出張ベースで中国に滞在していた頃は今よりももっと悪環境だったのでこれはこれではっきりしていれば私は大丈夫なのですが、返還を3ヶ月後にひかえた香港で香港人の反応が微妙でした。香港での教育も含めて不安な情報があふれていたでしょうから。

当時、多くの会社が賃金の安い中国へ工場を移し香港人技術者も大挙して中国へ移動させました。ところがこのとき技術者も大勢辞職しました。大手メーカーで非常によい条件での移動にもかかわらず95%の技術者が辞職したという会社もありました。平和そうな島国の民の私にはその心の中を推し量るには難しいかも知れません。
あと1ヶ月半、2007年7月1日、深圳湾口岸と福田口岸が開通

となったようです。

深圳湾口岸は通常1日5.86万台の車輌と6万人の通行が可能、福田口岸は人専用で1時間2万人、1日では25万人、最高30万人の通行が可能な設計になっているようです。
皇崗口岸の隣となる福田口岸は皇崗口岸の2倍の通行が可能で羅湖と双璧となるでしょうと。これに合わせて香港側ではKCRの落馬洲支線が開通、深圳側では地下鉄4号線皇崗駅が開通します。

両口岸とも通関時間は6時半から24時までの17.5時間、羅湖と同じです。
深圳湾口岸では「一地両検」、一カ所で香港と中国の両方の通関手続きができるようですが詳しいことは分かりません。

ちょっとわかりにくいですが香港から深圳に架けられた橋です


腾讯网より
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