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2007-06-06  カテゴリ: 香港初在住日記 1996-1998

《香港初在住日記》(95) 「愛多」 - 当時の有名なVCDメーカー (1997.5.7)

【95】  1997年5月7日(水)  「愛多」 - 当時の有名なVCDメーカー

今日は中山市にある「愛多」というビデオCD機製造会社へ出かける。自分の仕事ではないが日本人同僚とでかける。

昼食後、深圳の営業マン2人とともに出発。新しい橋ができたのでそちらを通っていくようだ。
景色、道路など、初めて中国へ来た頃とはずいぶん良くなったような気がする。最もこのあたりは知らない所だけど。これなら日本の田舎の風景と変わることがない。ただ違うのは田舎なのに道だけが広々と走っている。新しい住宅もどんどん建っている。工場から間もない所にも新しい住宅群ができているが、なかなか売れず値段がどんどん下がって今は60万元ぐらいだという。

1時間半ぐらいで愛多に着く。橋がなかった頃はフェリーでまったりしてけっこうかかったらしい。
愛多は一つのビルを借り切って社屋としているようだ。6階建てというより5階半。6階は屋上、そこに技術の部屋がある。屋上では若いワーカーの女の子たちが何か勉強会らしいことをやっている。

技術の部屋で仕事をしているとまもなくたどたどしく僕を呼ぶ声が聞こえる。振り向くとひとりの中国人男性。見覚えがあるような気がするがよく思い出せない。「DAIWA」という言葉でみんな分かった。確か張氏だ。あの毛沢東と同郷だと宣伝していたあの彼だった。本葉に懐かしい。彼の仕事場は別のところだが用事があってきていたと。台和を辞めていくつかの会社を変わり愛多は2ヶ月とのこと。びっくりするほどの偶然だった。
しばらくして彼は握手をして職場に戻っていった。中国に来て初めての中国人知人との再会に少し興奮した。

帰途。5時半に愛多を出て6時半過ぎ工場に戻る。1時間ちょっとだ。橋のおかげで夕食に間に合った。
愛多はブランド名を「IDALL」といいジャッキー・チェンをコマーシャルに起用して、当時はShincoなどとVCD機のシェアを分けていて、中国ビッグ3でした。当時、中国メーカーのビデオCD機の製造といえば、電気回路が組み立てられた基板を他社から購入して組み立てていました。愛多でも数社から基板を購入していました。私のいる会社も基板を供給していました。

中山市へは初めてで諸相の景色も興味深いものでした。住宅がなかなか売れず価格が下がるって今から見ると不思議な感じですね。
この60万元の物件は周りを塀で囲われて門に管理人のいる純別荘というもので広々と作られていました。別荘といってもただ単に戸建ての家のことで、今なら普通は高層マンションに併設してあるのですが、この物件は戸建ての家だけで構成されていました。ちょっとへんぴな所。
今ならあの場所でも60万では買えないでしょう。たぶん10倍は必要でしょう。

(写真:純別荘西麗山荘)


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