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2007-06-13  カテゴリ: 香港初在住日記 1996-1998

《香港初在住日記》(97) ある香港人の若者 (1997.5.11)

【97】  1997年5月11日(日)  ある香港人の若者

22日まで部屋を提供することにした日本時代の同僚から電話。荷物を持って来るという。友達が手伝ってくれるといっている。
3時半ごろ、若い男性を連れてやってくる。友達の友達らしい。香港人。英語を話す。
年齢は23歳、スタンダードチャータード銀行勤務。去年結婚をしたが住む所がなく、二人ともそれぞれまだ両親の家に住んでいるという。彼が住んでいる所は沙田。300スケアフィート、28平方メートル。そこに両親と兄弟4人が住んでいるという。信じられない。これが香港庶民の実態なのだろうか・・・
彼がここに入るなり広い、広い、といったのがよく分かる。それでもここは680スケアフィート、63平方メートル。

今日、彼に香港を案内してもらうらしい。珈琲を飲んだあと二人は出て行った。

7時頃までのんびり。米をセットしてヤオハンへ。餃子にする。キャベツと卵も買う。ヤクルトも。いつものパターン。
食事を済ませ風呂に入る。
夜11時頃二人は戻ってきた。彼はバスがなくなるからとすぐ帰って行った。

聞くと彼はキャセイの弁当関係の仕事を5000香港ドルの給料でやっていて恒生銀行に移り、その後、今のスタンダード銀行に移ったらしい。現給料は9000香港ドル。
彼のような境遇が一般的な香港の庶民なのでしょうか・・・
そう言えば仕事の香港人の相方も300スケアフィートの部屋だとかいっていたような・・・
これが占領地となった庶民だからなのか、時代がそうだったのかは分かりませんが辛いですね。


香港島や尖沙咀に比較すると格安の上水の中古マンションの値段。
庶民にはまだまだなのでしょうか・・・

私の子供時代は3畳4.5畳6畳の3部屋で6人家族。まあ、京間の畳数なので大きい目ですが、文字通り川の字になって寝ていました。

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2007-06-13 コメント(0)

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