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2007-03-06  カテゴリ: 奈良帰省日記2006-2016

【奈良帰省日記2007.3】(3) 飛鳥-明日香村へ | 2007.3.6 |

飛鳥-明日香村へ

ずいぶん久しぶりに飛鳥へでかけました。私の日本時代の休日は奈良、京都、飛鳥を歩き回ることが多くありました。
飛鳥にはもう10数年ご無沙汰している気がします。家からは数10キロ離れていますが子供の頃の思い出もありますし私の心の中ではふるさとになっています。
京都市は母のふるさと。前回の帰省では奈良、京都へ行ったので今回は飛鳥に。

近鉄飛鳥駅前




天武持統天皇陵


川原寺


石舞台古墳と二上山(にじょうざん)遠望


祝戸地区






大和棟の家


橘寺



最後は甘樫丘。蘇我氏の大邸宅があったと言われるところです。ここから大和三山を見るのを楽しみにしていました。

大和三山は耳成山(みみなしやま139m)、天香具山(あまのかぐやま152m)、それに畝傍山(うねびやま199m)。畝傍山は麓で初代天皇の神武天皇が即位したと伝説のある山で、 この伝説に基づき明治時代に神武天皇を祀るため橿原神宮が建設されました。

大和三山は100m台の低い山々ですが、ここには日本で初めての都、藤原京が建設されたのです。低い山なので私も高校時代、三山とも頂上まで登りました。とくに天香具山は オートバイで登ったというならずものでした。

いざ甘樫丘へ


畝傍山と二上山(にじょうざん、嶺が2つ並んでいる山。高い方が雄岳、低い方が雌岳)



大和三山を目指して甘樫丘に登り、畝傍山と二上山が目の前に現れたとき、思わず涙腺がゆるんでしまいました。これがぼくのふるさと・・・予想しなかったことに誰もいないのに一人おろおろ。

二上山はふたかみやま(二神山)とも言われる山で大津皇子が処刑されまつられているところでこれまた古代の歴史の舞台です。姉の大来皇女の「うつそみの人なる我や明日よりは・・・・・」と言う歌が頭をよぎります。

深圳にもミニ・二上山があります。皇崗からバスに乗って深南路に向かう途中、北向きに走っているときに見えます。本場のよりも低くすぐにビルに隠れてしまうので写真を撮ることができないでいますが、私の心の中にミニ・二上山として登録されています。

石舞台古墳から夕日の沈む二上山を眺めて写真を撮りたかったのですが天気がだんだん悪くなってきたので断念。でも久しぶりの飛鳥は本当に楽しく知らず知らず2万7000歩、歩きました。ほぼ14kmになります。最後は知らないところを歩いていて橿原神宮駅まで行ってしまいました。健康も考えて結構早足で歩いているので疲れているはずなのですが・・

甘樫丘では飛鳥に関係ないのですが、ふとあの「三笠の山にいでし月かも」の歌を思い出しました。仲麻呂が中国にいて見た月を奈良のように感じて詠んだと言われる歌です。
本当に日本と中国仲良くしてほしいものです。

飛鳥はまた私の子供時代とは大きく姿を変えていました。言うなれば整備されすぎというか、保存のためのポリシーを感じないのです。整備をしましたという主張のための整備をしていないか、よく考えてほしいところです。
先祖の貴重な財産にカビを生やし、それを隠そうとするような保存であってはならないのです。
自分のふるさとと思っているだけにいろいろ感じる日でもありました。

大和三山

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