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2007-02-25  カテゴリ: 香港中国出張日記 1992-1995

【香港中国わかばマークの頃】 (2) 中国東莞出張日記 - 散髪と公安 (1994.6)

中国東莞市鳳崗鎮出張日記 - 散髪と公安

初めての香港旅行を終えたあと、香港で働くことを勧めてくれる人がありました。
とはいえ、初めての海外旅行を終えたばかり、ちゃんと生活していけるのか不安があります。
で、それまでの会社を辞職、日本で設計して香港の会社に依頼その中国工場で生産をする、という会社に1992年入社、1年1ヶ月程度の香港・中国を経験することになりました。

中国工場は東莞市鳳崗鎮にありました。高速道路が全くなかった頃で香港から深圳に入り、羅湖からタクシーで1時間近くかけて工場に行きます。150元。
当時の鳳崗にはまともなホテルがなく、旅店という簡易宿泊所みたいな所に宿泊。バスはあるものの湯がちょろちょろとしか出てこないので頭を洗うのにも工夫と努力が必要です。
これはこの会社入社3年目、1994年の出来事です。当時の中国日記から・・

香港・中国/若葉マークの頃【2】 中国東莞市鳳崗鎮出張日記 - 散髪と公安

1994年6月16日-7月6日 By Sceneway
おっ、来た来た、手に部品をぶら下げている。きっとあのせりふだ。
「これ、ノーグッド!」
やっぱりな。口から唾を吹き飛ばしそうな勢いである。こういう時はたいていたわいないことが多い。彼が仕事でやってくる時は大体「これ、ノーグッド」と言ってやって来る。それで彼のことをノーグッドにいちゃんと呼んでいる。彼に言うと、ちょっと待て、という顔で嫌がった・・・

どうやら金物部品の寸法が合わないらしい。見ると図面とは逆の方向に曲げられている。納入業者のミスのようだ。彼に良品と並べて見せる。彼は「おっ」という表情を見せ、照れ笑いをして、頭をかきながら出ていった。

ノーグッドにいちゃん、梁さんは僕が初めてこの中国工場に来た時、生産の長として仕事を手伝ってくれた。彼は広東語しか話せないようで、通訳の曹さんの普通話(標準語)を理解はできるが話すことはない。彼の話によると今は学校で普通語の教育があるが彼の時代は普通語の教育がなかったそうだ。
僕も中国語は片言なので、意志の疎通はもっぱら筆談が多い。急に高飛車に出るかと思えば、にたっと笑ったり、仕事の実力はそれほどながら、なかなか憎めない人間で僕とは何かウマが合うというか、よく一緒に遊ぶ。彼のデスクに僕を連れて行き、写真を見せながら、これは子供、これが自分の家だと言いながら説明をしてくれたりもする。

カラオケに行くと人が変わってしまう人間でもある。普段は煙草をすすめると、すました顔をして人差し指で喉を指さして、「ノーグッド」。
ところが、カラオケに行くと酒も飲まないくせに「おい」と言って煙草を催促してくる。煙草を箱ごと渡すと、一本を僕の口に強引に突っ込み一本を自分の口へ。曲の予約メモリーを6曲全部自分の好きな曲に変更しては豪快に笑い、曲にのってくると肩を組んできて大声で歌う。いつの間にか彼の前にはコカコーラが。全く喉に悪いもあったものではない。
また彼がやって来た。こんどは別に何もないようだ。僕の仕事を手伝ってくれながら僕の頭を指さした。どうやら髪の毛が伸びていることを言っているらしい。今回の滞在が延び延びになっているため、帰国してから散髪にいくつもりだったのが、むさ苦しくなっているようだ。中国の散髪もまだ行ったことがないし、一度経験してみるか。

この工場にいる別会社日本人のOさんはもう何回も行っているようだった。
「ただこことここをカットしてくれと身振り手振りで説明するだけ。はっきり言ってうまくはない。洗髪をカットの前にするからびっくりしたけど。通訳の曹さんと一緒に行ったらいいよ」

同僚のHさんは旅館の湯が出ないことが多いので、洗髪だけ行ったことがあると言う。まあともかく今日行ってみるか。梁さんはたった20元だと何回も繰り返し言っている。20元といえば大体250円か、さすがに安い。日本の10分の1以下である。

午後10時、今日も仕事が遅くなってしまった。Hさんに散髪に行くと言い、曹さんと共に工場を出た。

僕が宿泊している旅店の近くに散髪屋が2軒あるが、曹さんがこっちの方がいいと言い、どんどん先を歩いていく。僕としては夜も遅いし、暗いところを歩くのは不安がある。曹さんは僕の気持ちもおかまい無しにどんどん歩いていく。普通なら中国人と一緒なので大丈夫なのだろうが、彼には深夜の路上で強盗にあい、身ぐるみ剥がれた”前科”がある。僕の不安は隠せない。

6、7分歩いた所で彼は大通りから左に折れた。少し暗くなってきた。心細い。戻ろうと曹さんに言うが、彼は大丈夫と言ってきかない。少し行くとやっと1軒があった。みると看板には「髪型設計」と書かれているが、もう営業時間は終わっているようだ。「やっぱり、いいところは髪型設計となるのか、終わる時間も早い」と曹さんが言う。「お前、ここへ来るのは初めてか」と聞き返すと、そんなことはない、と言っているがなにか頼りない。少し行くともう1軒あったが客でいっぱいである。感じはよかったのだが冷房がないから戻ろうと曹さんが言う。贅沢な奴だと思ったが夜も10時過ぎだと言うのに確かに暑い。旅店の近くの散髪屋に引き返すことにした。
「この道が近道だよ」
またまたまた。暗い道を引き返そうと言うのである。

よく聞く失敗談というのは夜の暗い道というのが多い。夜の深圳で脇の小道に入ったとたん顔を殴られ気絶し、気がつくと持っていたものはことごとく無くなっていたという人がいる。この話を聞いて「海外では夜の暗い脇道を歩くな」ということを教訓にしているのである。

「暗いやないか。いやや」
「大丈夫だよ。何も危険はない。僕はしょっちゅう通っている」
「それは昼間やろ。今は深夜や。それにお前には前科がある」
「大丈夫だよ。深夜だって通る。問題ない」
「判った。強盗に襲われたらお前を放って逃げるからな」
「ああいいよ。あなた、本当に恐がってるね」

  そりゃいろいろ話を聞いているから恐い。ポケットを探る。貴重品は・・・。人民元で100元程度か・・・。まあ盗られても大丈夫だ。覚悟を決めて歩き始めた。数分程歩くと明かりが見えてきた。多少ほっとする。3人の人影が目にはいるが問題はなさそうに見えるが、念のため曹さんに日本語を使わないように言いその前を通り過ぎた。道を左に折れると目の前は見慣れている大通りだ。やっと安心できた。なんともないだろ、と曹さんが言った。まあ僕の用心し過ぎかも知れないが、用心に越したことはない。こういう緊張感が無くなったところで事故にあうケースも多い。

旅店の近くには2軒の散髪屋が並んでいる。両方とも5、6人の女性が椅子に腰掛けている。客ではないらしく、綺麗な足のホットパンツ姿である。その筋のことを連想させる。曹さんに聞くと交渉次第だという。大体400元ぐらいだそうだ。曹さんも経験があるらしい。曹さんの奥さんは上海・無錫の自宅で彼が帰郷するのは年に旧正月の15日間だけだからしょうがないか、と無理矢理思おうとするが・・・
奥さんは麻雀ばかりしていると言う。
中に入ると先ほどの散髪屋よりもお粗末な感じだが、冷房があるし小姐もいる。鏡の前の椅子に腰掛けると、その中の一人の女性が寄ってきた。長い髪のホットパンツ姿の美人、入ってきたときに一番最初に目を引いた女性であった。シャンプーを手に取り、頭をマッサージするように洗ってくれる。あまり力も入っていないし期待したほど気持ちよくもない。日本の方がうまい。シャボンのマッサージが終わると、部屋の隅のドア向こうにある流し台に移動する。ここでシャンプーを洗い流すが、意表をついて湯ではなく水であった。しかし暑い土地柄のせいかこの水が気持ちいい。彼女は水のシャワーを掛けながら2言3言ささやく。当然のことながら中国語で僕には判らない。さすがにこの時は中国語が話せないことが残念だった。

頭を洗い終わって席に戻ってくると、他の客が席についていた。彼女はこの客に何か言い席を空けさせてくれた。店内を見ると頭を洗っている内に客でひしめいている。曹さんはというと散髪屋にいた他の女性達とおどけながら楽しく話をしている。本当に彼は女好きである。
椅子に腰をかけるとさっきの女性の担当が終わったらしく、気むずかしい顔をしたおばちゃんに交代した。ドライヤーで髪の毛を乾かせながら何か話しかけてくる。カットをするかどうか聞いているらしい。曹さんが横と後の毛をカットするように言ってくれた。
しばらくすると、工場で一緒に仕事をしている香港人のパトリックを伴って同僚のHさんが洗髪にやって来た。今日はこの散髪屋、千客万来である。しかも時刻は11時になっている。

おばちゃんが櫛を手にカットを始めた。髪の毛をすき、櫛をあて電気バリカンで右から左へさらう。髪の毛がばらばらと床に落ちる。日本での鋏さばきとは違いなかなか豪快である。
洗髪の終わったHさんの方を見ると、待ちきれなくなったのか、自分でドライヤーをあてている。隣でドライヤーを待つパトリックが冗談っぽく「ユー、プロ。OK、OK」と訳の判らない事を言っている。Hさんはそそくさとドライヤーを終え、店の人に3人で値段はいくらかと身振り手振りで聞いている。50元を払い、旅店へと帰って行った。洗髪が15元、カットがなんと5元(60円)である。15元は綺麗な女性の洗髪代というところか。

10分ぐらいでカットは終わり、パトリックと曹さんと3人で散髪屋を出た。出来映えはいいとは言えないが、髪の毛が伸びれば同じ事だし安いのが魅力。Hさんとパトリックが来たおかげで、にぎやかな散髪となり楽しい時間を過ごせた。旅店の部屋に戻ってみると11時半になっていた。


散髪屋へ行って2、3日が経った。時刻はもう深夜1時を過ぎている。日本の7時のNHKテレビニュースが香港のワールドTVで深夜12時頃から毎日放映されているので、僕はベッドでこのニュースを見てから寝る日課になっている。ベッドに横になりうとうとしていると外が騒がしい。大声が聞こえてくる。うるさい客だと思ったがそうではないようだ。

僕の部屋のドアの鍵が合い鍵で勝手に開けられた。チェーンを掛けてあるため、ドアをがたがたしている。公安だ、ふとそう思った。
曹さんはここの通訳。Oさんが大阪人でコテコテの河内弁で彼に話すので、彼は時々きょとんとしていますが大阪語をよく理解していて自分で気づかないうちに染まっています。

今は死語となっているというホットパンツ、超ミニなショートパンツですがこのパンツをはいた女性たちがたむろしている散髪屋はやっぱり異様な感じがします。はじめに1人で行こうとしていたのですが「へん」なところのような気がして行きそびれていたのです。
水で洗い流していたとき、小姐がいろいろささやいていたのはおそらくマッサージのお誘いでしょう。洗髪に比べてマッサージの方が歩合が大きいですから。

散髪屋はだいたい午前3時ぐらいまで開いています。で、働く小姐は拘束時間が16時間とかあってびっくりします。ま、自由にやっているのでしょうけど・・・
今は拘束時間も短くなっているようですがそれでも12時間とかのところも多いようです。

自分はまだ経験した事はないが、公安が無作法極まりない手入れをする、ということは知っていた。目的はいかがわしい女性を部屋に連れ込んでいないかどうかを調べる事だそうだ。中国は夫婦でもホテルの一室に宿泊するのに夫婦の証明書を見せなければならないお国柄である。他人同士の男女が同室するなどもってのほか、という事だろうか。聞くところでは決まって夜1時や2時にやって来ては部屋の隅々、バスルーム、トイレまで確認して部屋を出ていくそうだ。

チェーンをはずすと私服の男2人がずかずかと入り込んで来た。そのうち1人が日本の免許証のようなカードを見せた。手に取って見るとやはり「公安」と書かれている。部屋を隅々チェックしたあと何か言ってくる。広東語らしい。パスポートを見せると僕に向かってチェーンを掛けるように手で合図をし、あわただしく出て行った。


やれやれこれでやっと洗礼が済んだと思ったのに1週間後またもや現れた。今度は公安のあの軍隊のような草色の制服でやって来た。この前の人間とは違う3人連れである。意識が遠くなり眠り込む寸前で、夜ももう2時を過ぎているようであった。

 ドンドンドン!!「〇×□△▽!!!」
むりやり眠りから引き戻された僕の機嫌は最悪となった。チェーンを外すとすぐベッドに入って眠りの続きを実行した。今回は制服のためか身分証を見せる事なく部屋を調べている。確認を終えた後ベッドの足元で3人の公安が立ってなにごとか叫んでいる。
うるさい!中国語である。普通話らしいが判るはずないではないか。
「なに ゆうてんのか わからん」こちらもコテコテの関西弁で応答する。
「〇×□△▽!!」
中国語が判らないという事がわかるはずなのに中国語で怒鳴り続ける。
「なに ゆうてんのか わからへんやないか」
こちらも関西弁で応答を続ける。何しろ寝入りばなを起こされた上、中国語でまくしたてられ、感情は”絶好調”だ。
「*#&@§☆」
「ええ?」
しかしたいしたもので聞いているうちに少しずつ単語が判り始めてきた。どうやらどこから来たかと言っているようである。しかしこちらは何も悪い事をしているわけではない。言葉がわからないということで通す事にした。

「ええ?おお?」
今度は威嚇するように一歩踏み出してきた。
「オオ?エエ?」
「ええ?おお?」
幾度かやりとりが繰り返された。おとなしかった1人の若い男が
「ニップン?」
と言った。ニッポンというつもりらしい。あまり意地を張っていても危険かも知れない。ここらあたりで手を打つ事にした。
「おう、ニッポンや、ニッポン」
と言い返すと、あっさり3人は出て行った。ドアは開けたままだ。本当に腹が立つ。これが中国というものだろうか。人のプライバシーも何もあったものではない。

中国人と接する機会ができてから中国人に対して僕は好印象を持っている。細かい事は別段気にしないし、言い合いをしても後はあっさりしているし、理屈も理解してくれる。人見知りもせず、誰とでも友達になれそうな雰囲気を持っている。細かい事をあれこれ言われるのが苦痛である僕にとってとっつき易いのだ。

こうして考えてみると、無作法極まりないあの公安もそういった特性は持っているように思える。日本人とわかればあっさりと出ていった。にしても高飛車な行動と言動は感情を高ぶらせる。もう少しなごやかにして欲しいものだ。

しかしどうして去年は1度も来なかった公安が今回2度もやって来たのだろうか。ここでふと散髪屋のことが頭をかすめた。あれだけ派手におしかけて行ったのだから公安が情報を仕入れて見回りに来たのかも知れない。何か中国の実体の一つを見たような気がした。
これは1994年の話です。
一般の生活の中で中国を観察していると、公安と一般市民というのは何か「人種」が違うように見えます。
公安は私の言葉を聞いても外国語と思うことなく、中国のどこかの地方の方言だと思っていたのでしょう。何しろお粗末な旅店でしたから外人が泊まっているとは思っていなかったでしょうし。

ある時ある店で日本人2人で話していたら、隣の中国人
「あんたたち、(中国の)どこから来た」
「ん、どうして?」
「あんたたちの話している言葉が全くわからない!」
中国東莞市鳳崗鎮 - 散髪と公安
終わり
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