深圳 赤湾探訪 南山区赤湾 少帝墓

少帝墓
少帝墓

1278年、蒙古の侵入により南宋王朝が広東まで敗退した時のわずか8歳の南宋最後の少帝の墓。
家臣の宰相、陸秀夫に背負われて海に身を投げた、となっています。
いまではこの周辺は赤湾石油基地で、1982年に赤湾港建設工事の時に墓が発見されたようです。

バス226路の終点、「赤湾站」から歩いてそう遠くない、少し寂しいそうな気のするところにありました。
時々お参りの人がいますが、皇帝という名前からは惨めに感じられるほどのこぢんまりしたお墓です。でも、通りの名前は「少帝路」、追悼の意味があるのでしょう。
そして「少帝路」は「右炮台路」につながっていきます。


赤湾へのアクセス
バス →  赤湾 

2008.8.16と2008.9.18の写真から
文化財の碑


少帝を抱く宰相




少帝墓の前で






少帝路




少帝路に続く右炮台路


近くの赤湾村



「赤湾探訪」 おわり