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2007-06-14  カテゴリ: 思うままに

古代都の汚水処理

古代都の汚水処理

2007年 06月 14日

今日も深圳は雨模様、夕方には激しい雨と雷。山の向こうに一条の雷が落ちていくのが見えました。
ベランダにある掃除用具は風雨でベランダ中を駆けめぐります。
最近の日課です。


さて平城京に十条大路が見つかったみたいですね。
asahi.com
十条大路を発見 平城京、定説より大きかったこと確実に
  2007年06月13日

奈良県大和郡山市の下三橋(しもみつはし)遺跡で、奈良時代の首都・平城京(710~784)の十条大路跡(8世紀初め)が出土した。同市教委と元興寺文化財研究所が13日、発表した。従来、京の南端とされていた九条大路の南では道路跡が数カ所見つかっており、十条大路の存在が確実視されていたが、大路遺構の確認は初めて。




以前、偶然にらしきものが見つかって可能性が言われていたものですがこれではっきりしたわけです。
でも平城遷都後20年で廃絶されたようなので、おそらく整地だけで建物はなかったのではないかと想像しているのですが・・・まあ形だけの十条でしょう。

先代に当たる藤原京も私が学校で習ったのは大和三山の内側の範囲でしたが、今は大和三山を含むとされています。周辺地区に建物はあったのでしょうか・・

新日本史より


藤原京からの遷都の理由は分かっていないのですが、初めての都市建設となった藤原京で汚物処理に行き詰まったとの説もあるとか。

ちょっと興味のある話で、先日紹介しました龍崗の 客家民俗博物館 、そのことをちらっと思いながら見学していました。
ここは汚物処理をどうしていたのでしょうね。
玄関口に排水の出る台所とトイレが配置されていましたが外の排水口に近いためでしょうか。トイレはやっぱりため式?





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