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《奈良帰省日記2017② - 15 》法事終了

さて仏教の四十九日にあたる神道の50日祭を終えて納骨を終わり一区切りがつきました。
大きい骨壺は天理教の作法に則りお墓へ、小さい骨壺は矢田寺へ。神と仏が渾然としていて不思議な感じなのですが・・・

神道での50日祭は3月25日に我が家で京都の親戚を交えて執り行いました。久しぶりのいとこの顔に「何十年ぶりかな・・」と言い合ってとても懐かしく・・親の法事はいとこの会?みたいになりますね。帰り際に従弟は「久しぶりにいとこ会を開催するかな」と言って帰りました。


そして2日後、矢田山中腹の矢田寺大門坊へ。




右側の壇に一体ずつ小さな地蔵様が入っています。
矢田寺には千佛堂というのがあって、ここの祭壇の両側に小さなお地蔵様がロッカー状になったお部屋に一体ずつ納められています。全部で千体。ミニお地蔵様の体内に小さい骨壺に入った遺骨を納めます。
昭和55年(1980年)に先代の住職によって造られ勧進されていたのですが、このとき父がここを訪れてこれに応じていました。翌年、父が他界、父の遺骨をここに納めました。




私は二体だと思っていたのですが三体ありました。後ろの三体がそれです。机に母の遺骨。


もしかして父が亡くなった時、母がを一体を追加したのかな?
いきさつは不明ですが一体は先祖代々用に過去帳、一体に祖母の遺骨、そしてあとの一体に父の遺骨が納められていました。祖父は祖母の亡くなる40年前に亡くなっているので遺骨はないようです。
母の遺骨は父と同じお地蔵様に納めます。

父に戒名がありましたので母にもつけていただきました。


そして祭壇で母の納骨と父の37回忌を執り行いました。


矢田寺は子供の時から親しんでいるお寺なのでここで法事をすると個人的には落ち着きます。


さらに2日後にお墓に納骨して今年の法事を終えることができました。あとは1年祭(一周忌)、三回忌、5年祭と続きます。


本骨と胴骨(近畿)、本骨と分骨(関東)
ところで・・ブログを書くにあたって調べてみたのですが近畿と関東では遺骨の呼び方が違うようですね。
近畿では遺骨の小さい方を本骨、大きい方を胴骨と呼び、本骨を本山供養に、胴骨をお墓に納めるようです。関東では大きい方を本骨、小さい方を分骨と呼ぶのだそうです。小さい方は近畿ではのど仏に決まっていますが関東ではのど仏とは限らないようです。近畿ではのど仏が本人を代表する「主骨」と言うことなのでしょう。
→ http://en-park.net/words/5873

で私はどうやら勘違いしていたようです。矢田寺に納めたのが本骨でお墓に納めたのが胴骨と言うことになります。
でも宗教的にはチャンポンされていますが形としての処置は正しかったのでしょうね。

父は本骨と胴骨のことを知っていて祖母の供養をしたのでしょうが、こういうことに疎い私はやっと知りました。
もう少し勉強する必要がありそうです。

《奈良帰省日記2017② - 16 》春ですね 郡山城の桜はあと少しで満開 (2017.4.4)

小学校の同窓生たちとお城まつりの郡山城へ桜の見物、そのあとイオンモールで食事をしました。
4月も4日だというのに桜がなかなか満開になりませんがそれでもいい陽気。


石垣になったお地蔵さんです。
頭を奥にして下向になっています。
郡山城は豊臣秀長の築城時、石垣にお地蔵さんとか多くの転用石材を使いましたのでその供養のために大きな数珠を作ったのが始まりのようです。石垣を見ていくとあちこちに転用石材を見つけることができます。



天守台は4年をかけて発掘調査と整備がされ展望台として整備されました。発掘調査では金箔瓦が出土して豊臣時代の天守閣のあったことが証明されました。
天守台からの展望は奈良盆地が一望。奈良若草山から興福寺、大仏殿が見えますが、大仏殿は野球ネットか、ゴルフネットとかにじゃまをされているのが残念。
薬師寺は近くに見えます。




桜は咲き始め






山の木の生えていないところは若草山。山のふもとに大仏殿、興福寺が見えます。


薬師寺がよく見えます。東塔は現在解体修理中。しばらくは西塔だけ。


近鉄線路越しに


ひよどり


《奈良帰省日記2017② - 17 》満開の桜 (2017.4.9)

さてなかなか開花しなかった桜ですが一気に花開きましたがあいにくの天気でなかなか写真を写すチャンスがなかったので曇り空ながら撮影を。
これが今年最の見納め?


花吹雪






《奈良帰省日記2017② - 18 》 春の花

仏の座(ホトケノザ)








ヒメオドリコソウ


ユキヤナギ




ムスカリ


白木蓮が満開




《奈良帰省日記2017② - 19 》 いい天気に元気な景色 (2017.4.14)

桜が咲きかけてからしばらくうっとうしい天気が続いてやっと晴れ上がりましたが桜は散りかけで桜の葉が育っています。
大和民俗公園で




初めて見る花です。アシビかなと思ったらドウダンツツジでした。

灯台躑躅(どうだんつつじ)
日本吊钟花
学 名Enkianthus perulatus
科属名ツツジ科 ドウダンツツジ属







ホンコンドウダンツツジ
香港では似た花で「香港ドウダンツツジ」というピンクの花があります。ピンクシャンデリアとも言います。春節の頃に咲くのでチャイニーズ・ニューイヤーフラワーとも呼びます。
鳥も花でもそうですがやっぱり日本で見る花の和名は簡単です。香港や華南で見る花の名前は形容詞がついて長くなります。




マガモです。鳥はつがいらしいカップルで一緒にいることが多いですね。向こう側がオス。


仲良く飛んでいます。


城跡の堀には桜の花びら浴のヒドリガモ。


ミニ峠には楠の大木。電線が大きく美を損なっています。






《奈良帰省日記2017② - 20 》白毫寺から柳生街道へ (2017.4.16)

晴れ渡った空とぽかぽか陽気に誘われて何気なく奈良へ。JR奈良から循環バスに。観光客がいっぱい。日本人かと思えばことごとく外国語でした。大仏殿前のぞっとするような人混みをあとにバスに乗り続けて高畑町(たかばたけちょう)の手前、破石町(わりいしちょう)で下車。
すこしの距離で人はまばらになります。それでも歩いていると外人観光客とよくすれ違います。通りを抜けて新薬師寺から白毫寺へ。新薬師寺も白毫寺も中には入らずに散歩だけ。


柳生街道へ
白毫寺を過ぎて歩いていくと柳生街道に出ましたので久しぶりに柳生街道を歩くことにしました。ここまで来ると観光客はいなくなってハイカーだけ。なぜか初老の人が多いですね山歩きや山登り、日本人の若者にはあまり人気がないようです。

地図アプリで確認、時間的に荒木又右衛門の首切り地蔵あたりまでは行けそう。ただ歩いていくともう少し、もう少し・・・と歩いていきます。結局17時に引き返しました。それにしても日が長くなりました。まだまだ明るい。
帰りのバスから街路の花壇にアシビの花が満開でした。
知らず知らずけっこう歩いてました。







白毫寺




柳生街道を




首切り地蔵





戻ってきました



JRで戻ってきました


《奈良帰省日記2017② - 21 》もう一つの雀 入内雀(ニュウナイスズメ)と桜(2017.4.14)


スズメ 頬に班があります
桜が散りかけたころ、散歩していると雀かなと思っていたら少し雰囲気が違いました。初見の鳥。
帰って調べてみてもよくわかりません。ネットであちこち調べてどうやら入内雀(にゅうないすずめ)のメスらしいとわかりました。他の写真も調べてみると雀と思っていたのも入内雀の雄でした。
雀との違いは頬に黒い班がありません。それに雀が雌雄同色なのに対して入内雀は雌雄異色。

ニュウナイスズメという名、以前から鳥類図鑑で知っていたのですが中国語で牛乳をニュウナイ(牛奶)というのでつい牛乳を連想してました。今回漢字を調べて牛乳とは関係なかったんや、と知りました・・・


入内雀 (にゅうないすずめ)
山麻雀 (shān má què)

学 名Passer rutilans
目 科スズメ目 スズメ科
全 長14cm
雌 雄異色
渡 り夏鳥 漂鳥

スズメとの違いは頬の黒い班がなく、雌雄異色
♂ 雄




♀ 雌




《奈良帰省日記2017② - 22 》大阪散歩 天王寺から通天閣、大阪駅(梅田)へ歩く (2017.4.22)

このところ京都に行くことが多くなって大阪にご無沙汰しているので大阪へ。もう1年半ほどのご無沙汰。
関空は激しく変化していますし奈良も京都も外国人の嵐、大阪は・・・

JRで天王寺へ。天王寺から通天閣-日本橋-難波-道頓堀界隈-戎橋筋、心斎橋筋・御堂筋-船場センタービルを経て大阪駅まで歩きました。

天王寺駅前の動物園前。右は阿倍野ハルカス。天王寺駅前が見事に大変身、大きな緑地に変わっていました。とてもすがすがしい気分。


通天閣の新世界へ。
相変わらず外人観光客ばかり。


通天閣


なんば、道具屋筋を出てよしもとのNGK・なんばグランド花月へ。一日三部でお笑い公演。
チケットは売り切れのようで、立ち見のチケットが売られていました。


道頓堀付近はいつものように外人観光客でいっぱい。
イベントをやっていて岸や橋(戎橋)には人でいっぱい。




道頓堀のくいだおれ人形は子供にも人気です。



難波を出て戎橋、心斎橋アーケードを歩きましたが人が多すぎるので時々御堂筋を歩きます。そして北新地を過ぎて梅田(大阪駅)へやっていました。


やっぱり梅田は梅田です。商業街というところですね。ミナミの元気な観光客は少なくなって背広姿ですました人が多くなります。
まあ、こういうキタの雰囲気なら普通にある都会の風景。ミナミのざっくばらんな雰囲気からは異なります。やっぱり観光の中心はミナミですね。

梅田を歩き回ったあと地下鉄で難波に戻りました。すでに日は落ちて・・
新世界の夜景です。
あとはじゃんじゃん町を散歩しながら天王寺へ。 どの飲み屋もいっぱいでした。


小学生向けの電話機能付き腕時計

陝西省・漢中のAから微信。
小学三年生の星星が電話機能付きの腕時計(电话手表)をほしがっているとかでどうしたものかと悩んでいるみたい・・・

小天才ブランドの电话手表だというのでまずはネットでどんなものか調べます。1000元ほど。
機能を動画検索して確認します。親のスマホに連動して使えるらしい・・で、GPSを使って親のスマホで子供のいる場所を確認したり、親との電話や微信(WeChat、中国版のLINEですね)ができるらしい。
親というのは登録されている相手ですが。

日本でもありそうなので調べてみると腕時計型キッズケータイというのがこれなのでしょうかね。
まあこれなら子供の管理とかコミュニケーションがとれていいのでは。


その後だいぶたってからまたまた微信。ママのスマホを使って星星からメッセージが来ました。
「電話手表が欲しい」
おそらく過去のママと私のチャットを見て買って欲しいと言ってきたのかな。
ママと打ち合わせをして購入することにしました。電話手表、それにSIMカードが必要。ナノSIM。


星星に買った電話手表。 充電中
それ以後にママから微信があって「とても便利」だとのこと。
毎朝星星を学校に電動自転車で送ります。さらに家で昼食をとるために昼も送り迎え。そして学校が終わる夕方にはまたまたに迎えに行きます。
と言う毎日なので 星星のいるところがはっきり確認できるので心配が少なくなったとか。


小学校に入学するとき学校から言われたのが小学校三年ぐらいまでは親の送り迎えが必要でしょう・・とのこと。
四年生になって自分で通学するようになったらこういう電話手表は親にとっても必要かもしれません。


それにしても私の小学校時代というか・・通学に親の送り迎えという概念は私にはありませんでしたのでこういう子供の送り迎えを知ったときは違和感を持ったのですが・・
昔の中国は子供の誘拐とかが多い、とのことだったのでそのあたりが子供の送り迎えという風習になっているのかな、と思ったものです。

高校で全寮生活をしている燕燕は週末だけ家で過ごすのですが、今でもAは金曜日の夕方、燕燕を迎えに行き、日曜日の夜に学校へ送っていきます。
深圳に住んでいたとき、マンションの裏に高校があったのですが、学校の前の道は金曜日の夕方になると迎えの車で大渋滞していました。
こういう習慣、終わりになることがあるのでしょうかね。
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2017-04-25 コメント(2)

《奈良帰省日記2017② - 23 》四十雀と松の雄花 (2017.4.28)

夏の季語で春から頑張る四十雀(しじゅうから)、普段は木の上でちょこまか動いて250mmの望遠ではなかなかとらえようのない鳥ですがこの日は花が終わって葉桜となった木でいろいろなポーズをとってサービスしてくれました。

四十雀(しじゅうから)
大山雀 (dà shān què)

学 名Parus major
目 科スズメ目シジュウカラ科
全 長15cm
雌 雄雌は黒帯が細い
渡 り留鳥・漂鳥












松の木に花が咲き始めました。
松は雌雄同株で一つの木に雄花と雌花が咲きます。雄花の花が咲き始めていました。





桜花の季節が終わって静かになった城跡の楠の巨木



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2017_04


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