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2007-03-15  カテゴリ: 香港中国出張日記 1992-1995

【香港中国わかばマークの頃】 (3) 買い物 三態 (1993-1995)

香港、東莞で買い物

買い物は定価がついているものばかりではありません。
特に外国で買う場合、製品の価値が日本の感覚と違います。で・・
まず品物の相場値段を知る必要があります。そして値切れるのか値切れないのか、自分はいくらで買いたいのかなど自分でもはっきりしたポリシーを持たないと・・

香港と中国での買い物3態です。

香港・中国/若葉マークの頃【3】 買い物 1 - 香港で


1993年9月 By Sceneway
「セカンド・バッグのような小さな鞄が欲しいねん」
「じゃあ、そこの店はどう? 一度そこで買ったことがあるよ」
尖沙咀の地下鉄駅から出て弥敦道の裏手にある、間口が一間少しといった店で、奥行きが五メートル位だろうか。店に入るとすぐ店員が近づいてくる。


尖沙咀
僕の買い物のやり方というのは、気に入った品物を見つけるまでじっくり店内を見て歩くため結構時間がかかる。あげく気に入った物が見つからず買わないで帰るということも多い。だから入ると同時に店員が寄ってきて話しかけてくる、というのは苦手なので、この店員が黙っていることを期待しながら陳列品を物色し始めた。幸い何も話しかけず放っておいてくれている。

入り口の近くにデザインのいいバッグがある。茶色の鍵のかかる小さなバッグで、色といい、形といい僕の趣味に合うバッグである。一応、頭の中でキープする。他には、と。旅行鞄のようなものが多く、余りなさそうだ。この鞄を買うことにした。連れは女性用だと思ったのか、「マン? ウーマン?」と店員に聞いている。店員は勿論「マン!」。ともあれ僕は結構気に入っている。値段の交渉に入った。

店員にバッグを指さして中を見せてもらった。
「ハウマッチ?」訊ねると彼は鞄の中にある値段カードを見せた。”$498”とある。彼はここから3割引にすると言い、350ドルを電卓で表示して見せる。
「高い。250」と言うと、「ダメ、320」
僕は250で買うことに決めた。従ってそれ以上の価格は受け付けないことにした。首を振る。
「300・・」
「・・・・」
「290・・」
どんどん値段を下げてきた。予備知識によると、値段が高ければ帰るふりをするのも一つの手である筈だ。しかし折り合わなければ欲しい物が手には入らなくなる。まあこれも賭だ。それに香港で値切るのは初めてだし、後学のために試してみよう。他にも店はたくさんある。

「なら要らない」と言い店をでて、てくてく歩き始めた。5メートルほど歩いた所で、ついてきていると思っていた連れがまだ店にいて後から声をかけた。「OKだって!」

おお、そうか。やっぱり試してみるものだ。おかげで表示のほぼ半額になった。でも少し強引なやり方のように感じられ、少し後味が悪い。やはり冗談でも言いながら和気あいあいと値切って、買うたびに親しみが増すような仕方がいいのではないかと思った。
ともあれ、表示金額の半額程度まで値切れるだろうというめどはつき、収穫はあった。

香港・中国/若葉マークの頃【3】 買い物 2 - 香港で ( その2 )


1994年5月 By Sceneway
中国、鳳崗はインフラが良く整備ができていないため、断水も多く水が出てもちょろちょろがほとんど。バスタブに熱い湯を入れてゆっくりつかるということは望むべくもない。ちょろちょろ出てくる湯を大切にシャワーで体を撫でる、というのが精一杯だ。でも僕は初めて中国に来たときから、こんな生活をとりたてて辛くは感じていなかったし、工夫して生活をするということを楽しんでいた。ほとんどは簡単に我慢できる程度だったからだ。

それでも時々香港でとる週末にはほっとする。ホテルでは、蛇口から勢いよく出る水、バネのよくきいたベッド、壊れていないトイレなど、久しぶりに味わう軽やかな感触だ。今日もしばらくSさんと一緒に香港の休日を楽しむ。明日、月曜日は香港のS社を香港人の呉さんと共に訪れて午後には日本へ帰るので、今日は出張最後の休日となる。

ホテルにチェックインしてSさんと買い物に出ることにした。僕がキャスターの付いている小さな旅行鞄を買いたいと言ったのでSさんが付き合うことになった。街はなぜが鞄屋が多い。ホテルを出るとすぐ、以前にセカンドバッグを買った小さな店があるし、露店のような店もひしめき合っているが、今日は弥敦道に出て尖沙咀を散歩しながら店を探してみることにした。

街角では売りマンション宣伝の紙袋が配られている。僕にも配られてきた。香港人に見えたのだろうか。少し嬉しい。見ると「東莞加州花園、楼価八万幾、�一定買得起」と書かれて、完成予定図のイラスト画がある。アルファベットで「CaliforniaGarden」の文字もある。8万というのはどういう値段なのだろうか。1戸ならばいやに安いし。1坪当たりの値段だと言う人もいたが、そうすると非常に高い。東莞というからには、中国だろうと思うのだが。

  少し大きめの鞄屋があり、店頭には目的のキャスターの付いたハードケースの鞄も見える。入ってみる。えんじ色のものが僕の趣味に合うようだ。早速、店員が寄ってくる。個人商店のようだからこの人がオーナーだろう。中を開けてみせてくれる。日本で売っているようなポケットがたくさんあったり、いろいろな仕掛があったりというようなことはなく、仕切の網があるだけのあっさりしたものである。もちろん鍵は掛けられ、取っ手が引き出せて転がして運べる。大きさも飛行機内への持ち込みができそうで申し分なく、気に入った。これに決めた。あとは値段の交渉である。

「ハウマッチ?」
 おやじは鞄に付いている値段票を見た。「$996」とある。約1000香港ドルか。目標を500におく。
「これの3割引でいい」
と日本語で言い、電卓をことことたたいて、値段を示す。「720」となっている。目標よりかなり高い。
「高いなあ」
「どうして高い?じゃあいくらならいいのか?」
 目標は決まっているので、とりあえず素直に告げる。
「500」
「500はダメ。700でどうか?」
 まだまだ値切れそうだ。ただどう進めていくか問題だ。口べたな僕には話題が浮かばない。
「じゃあ、これキープしといて。この辺をひと回りしてあとで決めるから。」
 と言いながら、出ていくそぶりを見せる。
「あとはダメ。今だからこの値段」
 出て行けば戻ってこないと思うのだろうな・・当然のことながら、おやじもなかなか客は手放さない。また少しおやじの言い値が下がってきた。680、650。
「まだダメか。じゃあいくらがいい」
「じゃあ550」
「ん、550。OK。それでいい」

ついに交渉成立。今は1香港ドルが約13、4円だから、7500円程度というところか。720に比べると2500円程度の値引きになる。仕入はいくらくらいなのだろうと思いながらお金を払う。550から比べてもそんなに安く仕入れているとは思えない。おやじもにこにこしているし、これくらいの値段が双方に利益があっていいのかも知れない。いずれにしても自分の趣味にあったもので、あまり高く感じることはなく店を後にした。
帰りの道では同じような鞄に特価の札が掛けられて売られていた。「特価$650」だった。
(日本に帰ってテレビショッピングを見ていると、同じスタイルで布製の物が1万9000円になっていた。なんか得した気分)
今ならわかります、東莞の8万元からのマンション。間違いなく1戸ですね。100万円ちょっとですからこの当時はこんなに安かったのですね。 もし60㎡程度の物件が8万元とすると1300元/㎡、当時にしてはけっこう高い印象。香港人向けに作っているのでしょう。

キャスターがついて引っ張っていく鞄はこの当時ほとんど使われていませんでした。で、この鞄を買ったときは嬉しくて自慢げに引っ張っていました。
そのうちこういう鞄が主流になってきて価格もずいぶん下がりました。
丈夫で好きな色だったのでかなり長く使っていたのですが、キャスター部分が壊れておしゃかさま。今は4代目の鞄を・・

香港・中国/若葉マークの頃【3】 買い物 3 - 中国東莞鳳崗工場で

1995年6月 By Sceneway

久しぶりにこの旅日記を見たら、深圳の今とは全く違う価格でした。給料が少なく物価が高い状況。確実に中国は豊かになっていると感じました。

1995年の旅日記から
香港・中国/若葉マークの頃【2】の散髪と公安で最初にちょい出したノーグッド兄ちゃんがメインで登場です。
今日はもう土曜日だ。香港人工場長のラウさんは香港へ帰ってしまった。にこにこしながら生産の副総監の梁さんがやってきた。
彼、梁さんは名前を「参徳」と書き、広東語での発音がサンタ、33才。彼の学校時代では普通話を習っていないそうだ。彼の後の年代から普通話を教わるようになったらしい。従って彼は広東語しか話すことができない。ただし普通話を聞いて理解することはできる。もっぱら彼とのコミニュケーションは筆談と片言の普通話と広東語である。

3年前は主任だったが、人がどんどん辞めていったため現在は副総監になった。総監は全部香港人のため、中国人の最高の役職ということになる。人はいいのだが仕事は少しちゃらんぽらんなところがあり、そのためか、ラウさんにはよく怒鳴られている。確かに自分ではあまり考えることがなく、早合点をして、僕たち日本人の所にやってきて「これノーグッド」を繰り返しては頭をかいて帰っていく。でも、目的や考え方をはっきり示すと、一生懸命達成しようという根性は僕には感じられていた。だから指導のやり方によってはある程度伸びる人間だと思っているのだが。僕が初めてこの工場に来た時に、一緒に仕事をしたり、カラオケに行ったりした一番仲のよい相手である。

彼がにこにこしながらやってきたのは、もちろんラウさんが香港へ帰って緊張がほぐれたからであろうが、それにしてもはしゃぎすぎると思った。かなりストレスがたまっているのかも知れない。以前だと、「これは自分がよくない。この仕事をうまくやらないとこれだ」と言い、首を切るゼスチャーでにっこりしていたものだが、今はそんな雰囲気がない。それでもこの四月には香港へ観光旅行をして、これは香港で××ドルで買ったと言いながら靴や時計を見せてくれるのだが。

  「ハハハーーー」といつもの調子で笑う彼に腕を引かれて工場を出ると、彼は市場の方へ歩いていく。市場へ行く途中にスーパーマーケットができている。まずそこへ入る。ここにはもう2、3度来ているがせっかくなので見て歩く。食品売り場の反対側にはテレビや洗濯機など電化製品が並べてある。ここはまだ見ていない。覗いてみる。25型位のテレビが10万円位となっている。以前はたしか20数万円位だったと思う。安くなったものだ。洗濯機は松下電器製の愛妻号が置いてあるが、その横には全く同じ形で愛妻型と書かれた中国製らしい洗濯機が数分の1の値段で売られていた。いずれをとってもここの人の給料を考えてると安いものではない。サンタに給料はいくらかと聞いても、なかなか言わないが、役職からみても3000元(約3万6000円)程度は貰っているはずだ。このサンタにしても25型のテレビを買うのに3ヶ月分の給料が必要である。
スーパーを出て商店や露店の立ち並ぶ通りにはいる。露店は主に果物を売っている。以前に比べると急速に物が豊富になってきた。たばこなども中国の免税店と同じ値段で売られていて、香港の免税店よりも安い。まずCDを買いにCD店に入った。深圳の方が安いが今の予定では深圳での時間がとれそうにないのでここで少し買っていくことにした。1枚20元となっているが、向かい合うもう一つの棚の物を手に取ってみると70元と書かれている。海賊版と普通の物との違いだろうか。もっとも高い物は買うつもりはない。20元の棚からテレサテンと高勝美、それに周恵敏のCDを買う。サンタは深圳なら13から15元だと言っている。去年は15元で買ったからまた少し安くなっているようだ。ここで10枚のCDを買っても日本では1枚も買うことができない値段である。プラスチックケースの品質はよくないが、音質はオリジナルと比較しても遜色ない。日本で信号の記録状態を調べてみたが全く問題はなかった。10枚買えば1枚くらいはずれもあるが、値段を考えれば気にする事はない。

お金を払うと手持ちの人民元はほとんどなくなってしまった。あとはいつもの店で両替をするか(噂では闇の両替らしいので、率はいい。)買い物を香港ドルで支払うかだが、日程を考えて両替はしないことにした。
果物なども見て歩いたが、茘枝はまだ少し早いため普通の倍くらいの値段がついている。バナナはこの前買ったし、リンゴはあまりおいしくないし、ということで見るだけ。

服屋でTシャツを探した。サンタは衿の付いたものが気に入っているようで、これはどうかと言うように身振りで示し、店員に値段を聞いている。そのとたんに僕の手を引いて外へ出る。どうも値段が高すぎたようである。次の店の展示品のTシャツを品定めする。サンタはチャコールグレーのものを勧めるが、もともとはで好きで原色派の僕は真黄色のものを選んだ。値段は28元。高いと言うと20元になった。展示品はシミはあったが、以前のように安かろう悪かろうという印象はない。確実に品質はよくなっているように思う。在庫の新品と取り替えてもらって買った。

会社に戻るとサンタはさっきのTシャツを指さして「チェック、チェック!」。Tシャツに着替えると少し大きいようだったが問題はない。サンタは「ベリーグー」。
久しぶりの鳳崗でののどかなひとときであった。
買い物
終わり
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