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2007-03-25  カテゴリ: 香港中国出張日記 1992-1995

【香港中国わかばマークの頃】 (4) 中国出張日記 - 深圳の駐車場の小姑娘 (1995.6.8)

中国出張日記 深圳の駐車場の小姑娘

何でも無法地帯のように見えていた深圳。それだから楽しい思い出もあります。
イミグレを抜けて深圳に入ると待ちかまえていた少女たち、訪問者の手荷物を運んでチップをもらおうとやってきました。
深圳のある駐車場で会社の車が迎えに来るまでの小さな出来事。

香港・中国/若葉マークの頃【4】 中国出張日記 深圳の駐車場の小姑娘


1995年6月8日 By Sceneway
今度で3年目の中国東莞・鳳崗工場出張となる。出発前の話では深圳イミグレ近くの駐車場に6時半頃、迎えの車が来てくれるという事であった。僕は荷物を多く持って旅行などをするのは嫌いなので、なるべく持ち運びの楽な小さな鞄をというつもりだったが、そんなに物持ちでない僕のこと、少し大きいが、2年前に香港で550香港ドルで買った鞄を持ってきた。飛行機内に持ち込み可能という大きさで、キャスターが付いている。運ぶときは取っ手を引き出して使うようになっているものである。駐車場でうろうろしても荷物が邪魔になるようなことはないだろう。

6月8日、12時過ぎの全日空で関西空港を出発、午後4時、香港啓徳空港に到着。
香港に着いたら、香港の会社に電話を入れるように言われているので、公衆電話をかける。
「ミス・メイ・ウォン・プリーズ」
彼女は英語を話すが日本語が分からないので、たどたどしい英語で、今、香港に着いたことを伝えた。彼女はうなずいて、電話を別の人に替わると、日本語が聞こえてきた。香港の会社に日本語の分かる人を新規採用したと聞いていたが、その彼だろう。6時半以降なら何時まででも駐車場で車が待っていると、繰り返し伝えてきた。ありがとうと言い電話を切る。
タクシーでKCR九龍駅へ、電車で国境の駅、羅湖へ行く。いつものように深圳の2階の税関を抜けエスカレータで1階へ。いつもならここからタクシーのりばに向かうが、今日はタクシーのりばを横目に見て駐車場へ行く。外はあいにくの雨が降っている。雨といっても強めの小雨程度で、傘がなくてもまあ何とかなりそうに思える。気にせずキャスター付のバッグを転がせていく。雨に当たると見た目よりは雨が強かったが、会社の車が来るまで我慢するしかない。

歩き始めると10才位の2人の少女が寄ってきた。1人が傘をさしかけ、1人が鞄を持とうとする。振り切ろうとするが、相手もせっかく見つけた「獲物」なのだろう、そう簡単には引き下がらない。身振り手振りの押し問答を続けながら、駐車場までやってきてしまった。ここから会社の車が来ているかどうか、まず確認しなければならない。バッグを引きずって歩く。2人の少女もまだあきらめずについてくる。でも彼女らは明るくて嫌みな感じがなく、ここまで来ると情が移ってしまう。ポケットをさぐると2香港ドル硬貨が出てきた。バッグを持とうとしていた少女に与えるとすぐいなくなってしまった。現金さを感じる。

考えてみると、6時半までにはまだ1時間近くもある。もう一人の少女をお金を渡して振り切っても、あとからもまだまだ別の人がやってくるだろう。それならば、この少女に車が来るまでつきあってもらった方がいいのではないか。もう割り切ることにした。傘の少女には車が来るまで付き合ってもらい、この初めての機会を楽しんでみよう。この一人の少女につきあってもらうことは、他の野次馬のことを考えると具合がいいかも知れない。そう割り切ってしまうと、気分的にも楽しくなってきた。
気持ちを新たにして、彼女と一緒に駐車場を1回りしてみたが、やはり車はまだ来ていなかった。入り口に戻って待つことにした。少女はずっと小さい手で傘を差しかけてくれている。身長の違いが大きくて、持っているのが大変そうなので代わりに僕が持った。傘をどこから仕入れてきたのか、取っ手がなくなっている。
「買い物 2」の時の鞄を使っています。このときの鞄の写真が残っていました。フィルム写真なのでスキャナーで・・
鞄は奥行きがあってよく入りましたが当時飛行機への持ち込み可能サイズでした。その後、このタイプの鞄を持つ人が増えたからか持ち込み可能なサイズが小さくなってしまって持ち込めなくなりました

僕は顔立ちから中国人に見えるようで、台湾では一人で歩いていて台湾人に道を訊ねられたこともあるし、2人の中国人からは「あなたが日本人と言っても、私には中国人に見える」と言われたこともある。でもネクタイ姿にこの鞄では中国人に見えるはずはないだろう。そのためか、少女と二人でいると、雨の中、僕を外人と見て珍しいのか、また何かの「仕事」のネタになるのか、沢山の人が集まってきていろいろ話しかけてくる。中国も結構慣れたつもりでいたのだが、こんなに面識のないたくさんの中国人に囲まれ、話しかけられるのは初めてのことで少々どぎまぎしてしまう。しかし何が起こるかという期待感もあった。

この人達はどういう人たちなのかは分からないが、みんないい笑顔で話しかけてくれる。でも中国語なのであまりよく分からない。この辺りの広東語ではなく、普通話であるところをみると、出稼ぎの人たちであろうか。どこから来たか、タクシーはいらないかというようなことを話しているように思えた。片言の中国語で日本人である事と、会社の車が来るのを待っていることを告げると、一人のおばさんが大きくうなずき、中国語で確認してきた。どうやら通じたようである。

おばさんはどんな車が来るのか訊ねてきた。よく知らないが、ナンバーの下2桁が「76」だと告げる。香港に着いた時に電話で聞いていた。おばさんはバンかどうかと言っている。たぶんそうだと答える。

おばさんはこの少女のことを知っているらしい。関係を聞くと紙に「叫我姑姑」と書いた。私をおばさんと呼んでいる、という意味だろうか。身内かも知れないと思う。また「小姑娘没吃饭给钱卖饭」と書いた。「卖(売)」は「买(買)」の書き誤りかも知れない。この少女はまだご飯を食べていないからお金をやってくれと言うのだろうか。こちらは分からないふりをする。とてもそんなふうには見えない。が、こういう事でお金を稼いでいることは間違いないから、迎えの車が来たら少女にチップを渡さなければならない。この少女にいくら渡したものか、頭の中で計算してみた。
今、僕の行く工場で働いている人の最低賃金は月200元と聞いている。とすると1日10元足らずである。労働時間は9時間だから1時間当たり1元(この時米ドルは85円なので約10円)だ。するとこの少女にはたぶん約1時間付き合ってもらう事になるので、1元渡せばよいということになるが、工場の賃金は食住は支給されることを考えて5元とし、香港ドルで5ドル渡すことに決めた。ポケットには5ドル硬貨と1ドル硬貨が少しある。5ドルというと6、70円で少ないかとも思うが渡しすぎてはいけないという判断である。労働相応のお金でなくてはならないと思う。一般に気前の良すぎる人が多くて相場を釣り上げているような気がする。

一応、車が来るまでの「費用」を概算したところでゆっくり遊ぶことにした。少女にもう一度駐車場をみてみようと言うと、傘をさしてついてきてくれた。この少女は本当にまじめな印象を持つ。おばさんは鞄を見ていてやるからここに置いていけ、と身振りを添えて話している。僕にはこの人達が悪い人たちには思えず、それに従うことにした。パスポートは上着の内ポケットだし、全財産の入ったセカンドバッグを持って行くので、最悪の事態は防げる。
今は地下鉄もでき、羅湖駅前イミグレ前も全面改装されているのでこのときの面影は全くありません。今から考えるとのどかな状況でした。

当時の写真はないのですが、これは2001年、地下鉄工事が始まっていない頃のイミグレ前、10月の国慶節で大混雑の模様。当方、これに少し並んだのですが30分経っても全く動かず、恐れをなしてマッサージに行って夜10時頃に香港へ帰りました。混雑がうそみたいになくなっていました。
手前のタクシーの通っている道を左に行くと、タクシー乗り場、駐車場がありました


やはり車はなかった。あとは待つしかない。さっきの人たちはもういなくなっていた。雨は相変わらず降り続いている。少女は駐車場の小さな管理所を指さし、何か話している。少しだが軒下があり、少しは雨がしのげそうだ。あの軒下に移動しようということか。二人で移動する。軒下に来てしばらくすると、また男が一人、にこにこしながら話しかけてくる。さっぱり解らない。彼女は僕に向かって「ヨウチャ」と言えと言う。はて・・・、あっそうか。有車、車があると言えと言っているのだ。更に彼女は僕に向かっていらいらしそうになりながら繰り返す。「ヨウチャ」。きれいな発音だ。この車という発音は非常に難しく、僕には未だに発音することができないでいるのに、この少女はいとも簡単に発音している。タクシーの呼び込みらしい男は去って行った。

いつの間にか、また一人少女がやって来て側に立っていた。この子は落ち着いた感じを与え、話しかける訳でもなく、ただ横にいるだけだ。もっとも、僕は傘の彼女だけと決めているので、そのほかの人の世話を受けるつもりはない。傘の彼女にと話をする。
「你家在那里」
答えられても解らないだろうが、故郷はどこかを訊ねると
「ホアナン」と言う。
ん、やっぱり解らない。「不明白」と答えると、もう一人の少女は極めてゆっくりと、きれいな発音で「ホアナン」と言い、掌に「華南」と書いた。華南地方はどんな方言なのか知らないが、この子達は普通話が話せるのだろうか。僕はまだ片言の会話しかできないが、彼女らの発音は台湾の発音とも違っていたし、僕には普通話の発音に聞こえる。学校で普通話を学んでいるにしろ、どう見ても十才程度にしか見えない彼女らの語学力はどんなものだろうか。
しばらくすると、さっきのおばさんが何やら言っている。車が来たようだ。少女は「76」と言っている。車を見ると確かに最後のナンバーが76になっている。間違いない。少女に5ドルコインを渡して車に乗り込んだ。どこからやってきたのか、沢山の人が集まってきて手を出す。訳が解らないが、関係した人に1ドルコインを渡す。それ以外の人も迎えの車の運転手にくいさがる。いつもこうなのかどうかは分からないが、初めての経験で少なからず驚いた。運転手は会社の雇われ運転手で、もちろん中国人である。適当にあしらって車を走らせた。

僕にとっては楽しい駐車場での出来事であった。再び駐車場に行く機会ができ、同じ体験を期待したが、同じ道を通ることができなかった。駐車場に向かう駅の出口がシャッターで閉ざされてしまったのである。駐車場に行くのには、タクシーのりばを大回りしなくてはならなくなった。前の出来事が影響しているのだろうか。僕にとっては楽しかったのではあるが、人民政府にとっては面白くないのかも知れない。その気持も分かるが、僕には残念であった。ただ駐車場付近を歩くと、いつものようにタクシーの呼び込みが盛んではあったが、もうあの少女達と会うことはないかも知れないと思うと少し寂しい気持が残ってしまった。
これは1995年のことです。お金は相場を上げないよう注意して金額を決めたのですが、今、この出張日記を見ると最後で彼らが叫んでいたのは金額が少なかったのかも知れません。
んー、でもやっぱり当時としてはこれぐらいの金額が妥当でしょう。

このあと、イミグレの出口からこの駐車場へ抜ける近道は封鎖され、さらに公安の手配によるものか、たくさんいたこの種の人々がいなくなりました。
雨の日などは鞄を持ってくれる人がいると楽ですし利用方法もあるなと思っていた矢先だったしちょっと残念でした。



最近は治安を維持するために混雑地ではこういう電気自動車のパトカーがよく走っています




中国出張日記 駐車場の小姑娘
終わり
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2007-03-25 コメント(2)

コメント (2)

遥   2007-03-26  (00:07)  

今日、貴ブログを見付けました。興味深い内容で、これから続けて拝見致します。私は香港から飛行機で1時間弱の福州に3年間ほど暮らしていましたが、悩むのは「子供の物乞い」でした。特に私の息子と同じ6歳ぐらいの子供に控えめにお皿を差し出された時は涙ぐんでしまいましたね。でもその後で別の子供に足に抱きつかれるやら、シャツを引っ張られるやら、大変な目にあいました。近くからは子供の親と思われる大人が見張っていて、腹がたったものです。特に駐車場は高級車に乗ってくる子供と、そのドアを開けてチップを貰おうとする子供の対比が、そのまま今の中国の貧富の差の象徴のようでありました。

sceneway   2007-03-26  (02:44)  

遥さん
訪問いただきましてありがとうございます。

書かれていること、以前は当方もよく経験いたしました。
子供にこんなことをさせる親って・・・と思ったりしたものですが
中国の当時の事情は知るよしもありませんでした。
親がさせているのか誘拐した子供を使っているのか・・・
考えると悲しくなります。
この駐車場の少女たちはそれに比べると明るくて悲壮感がありませんでした。

今は本当に豊かになったと思います。
田舎のほうへ行かなくなったためか子供の物乞いも目にすることがありません。

再び深圳で日本でのバブル成長期のような日々めまぐるしく変化する体験ができることを嬉しく思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。

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