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カテゴリ <香港初在住日記 1996-1998> ( 201件  古い記事順 )
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【30】  1996年11月12日(火)  英語レッスン 1ターム終了

今日は朝からけっこう涼しい。そろそろ上着が必要かも知れない。
窓からみると傘を差している人もいる。傘を持って行った方が無難なようだ。九龍湾に着くと雨。傘を持たない人が大勢たむろしていた。会社に着く頃には雨は上がっていた。

総務の小姐が僕の前のアパートの電話の支払いを済ませたいと言い、僕が細かいお金を持っていないことを想像して予想されるおつりを持ってやってきた。
そういえばこのごろ光熱費の請求書は全く来ない。来る時はどたどたとやってくるが。請求書類は給料日付近に来るのだろうか。
でも住宅の郵便受けには毎日宣伝のチラシがうんざりするほど入っている。入っていないのは日曜ぐらいだ。

英語の今回のタームは今日で終了。前回の試験の結果が発表される。僕は94点になっていた。でも平均点も87点となっている。ほっとする。
最高点は98点で同じテーブルのYANがそうらしい。彼女は自信ができたようだ。少し雰囲気が変わってきた。次のタームは22日からなのでそれまでに復習を。クラスメート(テーブルメート)はYan, Vivian, Sharman, David。
香港には、「のき」が多く雨にかかる部分は少ないです。滙景花園での通勤はマンションから最寄りの地下鉄、藍田駅までは約10メートル程度、ぬれるところがあるだけでした。

香港では昔、よくマンションの上の階からものを捨てることがあったようで、これでけがをしたり死んだ人もあったとか聞きました。
言われて考えてみたら、当時のように30階以上のマンションが建ち並んでいて上の階から物を落とされたらたまったものではありません。

そのため、上からの物の落下を防ぐために「のき」の張り出しが大きいのではないかと勘ぐっていたのですが...

その対策の1つなのか、香港のマンションの窓は大きく解放できず、 少ししか開きませんし、 格子の張ってあるところも多いです。
窓ふきをどうすればいいのか考えなければならないほど。

カナダに住んでた友人は一定期間ごとにマンション側の方で外側の窓ガラスを洗ってくれるのだそうですが、香港ではそういうサービスがなく自分で洗うか、お手伝いさんにやってもらうかです。

深圳の今のマンションではたまにマンション管理所が外側から窓洗いをしています。

(少ししか開かない上、格子の入った香港のマンションの窓)
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2006-10-17 コメント(0)

【31】  1996年11月14日(木)  IDカード取得

総務の小姐が仮の身分証を取りに来た。彼女が代理で入国管理事務所へ行って正式の身分証と交換してきてくれる。
昨日記念に仮身分証のコピーをとっておいた。自分の記録ファイルに追加する。
1-2時間ほどして正式のIDカードを持ってきてくれた。「これであなたはパスポートを持ち歩かなくてもいい」と言う。「Thank you」と受けとる。今日もまた記念日になりそうだ。少しじっくり見ていたいが子供みたいに見えるかなと気にしてやめた。
香港人がIDを見せてくれる。1カ所「***」(スリースターと言っている)がある。これは中国へ行く許可証の印だという。

家に帰ってIDカードをしげしげ見てみる。名前、誕生日、発行日、ID No.が書かれて写真のあるあっさりしたものだった。
取得当時のIDカード
すかし入りの紙のカードをコーティングしたものです

名前はアルファベット(名字、名前の順)、漢字、漢字コードで書かれています
8月に香港で働き始めて3ヶ月半、やっとIDが。
日本のパスポートには漢字の名前が入っていませんので、こちらで名前の証明をしたり説明する時に困りましたが、このIDには漢字で名前が入っていますので、以後は便利になりました。やっぱり日本人の名前は漢字ですよね。特にこういう漢字文化圏では。

中国へ入出国の時、入出国カードを書きますが、初めての時名前を漢字でいいだろうと書いてたらアルファベットで書くように注意されました。
おそらくパスポートに漢字がないためにアルファベットで名前を書くように注意されるのではと...パスポートで漢字の名前を証明できませんからね。

一時帰国している時に何かで身分証が必要になった時、手元にあったのがパスポート。見せるとちらっと目を流して
「免許証とかお持ちでないですか?」
こけました。正式よりも代用の方に価値が...

香港や中国でも銀行口座を開設する時に身分証が必要です。私はパスポートを身分証として提示したのですが、日本の場合、新しいパスポートを取得するごとにパスポート番号が変わるのでパスポートを取得するたびに銀行で手続きが必要、という話を聞いたのでさっそく銀行へ行って身分証明をIDカードに変更しました。

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2006-10-18 コメント(0)

【32】  1996年11月17日(日)  複雑な電気器具事情と深水埗

トイレの電球が切れているのに気づく。
ヤオハンで電球と蛍光灯を買う。台所の蛍光灯ももうだめだから。電球は40Wのものを多く買った。帰って電球を取り替えようとしたが40Wのものは口金形状が違っていてとりつかない。60WのものだけOK。ほんとうに香港は電気関係のもので困る。コンセントは角3のもの、丸3のもの、丸には大小がある。また日本のようなものもあり丸2つのものもある。アモイでは丸3のものだったのでテーブルタップをこれで買っていたら滙景花園は角3で変換プラグを用いなければならなくなった。いい加減統一してほしい。

5時頃深水埗へ行く電機製品なんかの話の時に時々名前を聞くからだ。言ってみるとどうやらコンピュータ関係の町のようだ。コンピュータの部品、基板製品など売られている。オーディオ用のスピーカーコードなども多く売られている。コードのメートル単価は安い。ここではフィート単位。
スピーカーコードは無酸素銅ながらふにゃふにゃの線が多い。日本にいる頃に試聴した時は堅い皮膜の方が音がしまっていたように思う。ほかにはVCDやCD-ROMなどが多く売られていた。しかし1つの店で売っている量は少ない。小さな店の集まりのようだ。露店がビルに入ったという感じ。時間的なこともあり今日は見学だけにする。たくさんの露店も並んでいるが油麻地と比べると少し小さいかな。

11月も半ばになって今日は長袖でも少し肌寒くなってきた。やっといい季候になったかな。でもまだクーラーは盛んに入っている。
家でも半ズボンでは少し寒い。そろそろじゅうたんなどを買った方がいいかもしれない。
ほんとうにこの頃の電機製品のプラグの形状はいろいろありました。始めは失敗ばかり。電球もねじ込みタイプに突起があってかっちんとはめ込むタイプなどいろいろ。ねじ込みタイプも大きさが大と小がありましたし。
香港では照明は今も電球が主流です。電球だと3ヶ月ぐらいしか保たないので、私は値が張りますが電球型の蛍光灯を使っていました。色は電球色で。やっぱり蛍光灯の色より電球色がいいですね。

コンセントも3ピンと2ピンがあり、3ピンではピンが角のものと丸のものそれも大小2種類、2ピンのものは日本と同じものや、丸ピン2本のもの。
このためにテーブルタップはどのピンでも使えるユニバーサルタイプのものが多く出回っていました。
今は角ピン3個のものに統一されたようです。したがってユニバーサルタイプのものを買うことができません。ただ、旅行用として変換プラグを1個10香港ドル程度で売っているだけです。


変換プラグ。香港ばかりでなく世界中のプラグに対応。


差し込み側(プラグ側)は香港タイプや日本タイプ、中国タイプなど豊富


長いピンがアースでこのピンを挿入するとあとの2ピンの赤い「ふた」が開いて挿入できます

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2006-10-24 コメント(0)

【33】  1996年11月19日(火)  急激に冬へ

ここ数日の間に急に涼しくなった、と言うより冬に近づいてきたような感じがする。今日は夏物のブレザーを着る。それでもまだ地下鉄は少し冷房が入っている。

オイル暖房機を出して試運転をしてみる。Philips製。まあまあかな。電力はどれくらい必要なのだろう。品番が何とか2000と表示があるので2kwということだろうか。これで冬どの程度効果があるかはわからない。学生の頃、石油ストーブの工場でアルバイトをしていた時に小さな石油ストーブ1個分がだいたい3kwぐらいという計算だったので2kwならまあまあか。
夏の終わりになると暑さの中に時々涼しい日があり、そして急に寒くなってきて秋がなくすぐ冬になる、というのが私の香港の季節の印象です。
長袖を着ても肌寒く感じる1週間前には暑くてクーラーをがんがんに入れていた、ということもよくあります。
おまけに湿度が高く、日本のようなさわやかな秋というものを感じることはありません。

香港の湿度は年間を通じて90%と旅行案内書に書いていたのを思い出します。
実際のところ、冬に瞬間的に湿度計が30%になることがありますが、比較的乾燥している冬でも室内の湿度計は60%程度です。

最近の香港や深圳は冬になると朝の最低気温が6度ぐらいの日もありますが、暖房設備のない香港や深圳はほんとうに寒いです。
中国の会社の寮にいた時などは布団もあっさりしたものなので、寒波時には服を着て靴下をはいたまま、布団で体をすまきにしたような状態で寝ていたこともあります。

このオイルストーブは寒い時にはストーブの近くにいれば暖かさを感じますが離れるとそんなに暖房効果を感じません。

1999年12月31日の香港・清水湾。この日は暖かくて半袖のTシャツになったりしてました

2006年2月5日の中国・広東省東莞


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2006-10-25 コメント(0)

【34】  1996年11月30日(土)  事務所のぼや-小火

3人で残業中、MI氏が何かくさいと言い、部屋から出てきた。はんだごてかと思い、ワークデスクへ行くがそうではなかった。実験室の奥で火がぽたぽたと落ちている。煙も激しく出ている。近づくと非常に臭くて目が痛い。
電気を消し、MI氏が管理所へ降りて行った。午後7時10分。管理人らしい人が上がってくる。
少し遅れて消防署員らしい人。もう煙は充満して中にはいると目が痛くなる。
身分証の掲示を要求され、僕のは部屋に置いたカバンの中にあるので中に入ろうとすると、危ないからいいと言われ掲示せず。
あとの二人はID番号と電話番号をメモられる。
何やかやで1時間半、あとえらいさんがが来るのを待つ。
香港での仕事にも慣れてきた頃の思わぬハプニング。結局は漏電で、熱で電線の被膜が溶けてぽたぽたと落ちていました。おそらく皮膜の溶けたガスが充満したものでしょう。
事務所のあるビルは少し古いし、実験室とか作るのにいろいろ電気工事をしているからかも知れません。
アパートに帰って風呂に入り鼻をすすぐと、そんなに長い時間いたわけでもないのに、鼻の中から真っ黒なすすが大量に出てきてびっくりしました。火事で死んだりとかありますが同じような事情があるのでしょうね。

こうして日記を読み返していくと、最近の日記は仕事のことでかなり深く悩んでいる様子が書かれていました。もう忘れていましたが、やっぱりいろいろありました。

学校を卒業したばかりの新入社員の頃、3ヶ月とか3年とか、3のつく時が分岐点と言われたことがありますが、この3ヶ月にあたるようです。
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2006-10-31 コメント(0)

【35】  1996年12月1日(日)  クリスマスカードを買う

日曜日だが2時出社。昨日の小火のあとを見る。思ってた以上に床がすすで真っ黒。明日は掃除が必要。出張用のハンドキャリー資料を揃えて3時退社。

クリスマスカードを40枚ほど買う。100ドルあまり。カードの安いのがいい。高いものもあるが日本で買うよりはるかに安い。郵便料金も安いので金銭的には余裕ができる。
香港に来て初めての正月を迎える準備です。
送別会とかやってくれた人たちへの年賀状としてのカード。3ドル弱、2ドル50(40円)というあたりが中心的な価格です。
郵便代が日本まで20g、たしか3香港ドル弱(50円程度)だったのでけっこう安く上がります。


いろいろなカード。さすがに赤色中心


マンションもクリスマスと新年のデコレーションに


エントランスのガラス壁




エレベーターホールのサンタ

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2006-11-01 コメント(0)

【36】  1996年12月6日(金) - 12月11日(水)  中国東莞工場へ

12月6日金曜日から12月11日水曜日まで中国工場でカスタマーを交えて電子設計の仕事。
結局、日本から来たカスタマーのわがままに付き合い、休み無しの上、ひげそりの具合が悪く、帰る頃には電気シェーバーでは剃れないくらいにひげぼーぼー。みんなに笑われる。ちょっと前にも中国工場からひげぼーぼーで帰ってきた人がいて奇しくも同じ状態で照れ笑い。

出張期間中に技術部の移動の話があった。香港には数名を残して中国工場に移動するというもの。9日に香港で発表された。
僕は香港にしても中国にしても同じ外国だし、香港に来る前から中国での工場生活は別の会社で体験済み。しかもこの工場よりははるかに環境は悪い。なのでどうという思いもないが、香港人はどうなのだろう。
聞く所によると、中国工場の工場長(日本人)は露骨に香港人を馬鹿にした言動をとっていてそれを香港人も知ってるようだし。
香港返還を半年後に控えたこの頃の香港はほんとに激動期で香港人の先行き不安は想像を絶するものがありました。普段はあまり顔に出さないのですが、何かある時は不安そうな表情を隠すことはありませんでした。

日本で仕事をしていた頃、ある日本人は香港人に香港返還をどう思うかと感想を求めていました。始めは普通の表情で返事をしていた香港人も、だんだん顔が不安に変わり話題から逃げようとしているのにこの日本人、かまわずどんどん問いかけているのにはちょっとびっくりしました。
この日本人は相手の香港人の顔の変化に気がつかなかったのでしょうか...

この頃は安い人件費を求めて中国に工場を造って香港人を数名送り込む、という方法をとる会社が多くありました。今回のように中国工場移転、という部署では多くの香港人が会社を去っていくことが多かったのです。私の知り合いの日本人のところでは、異動先として深圳のど真ん中、環境としては申し分なく、さらに通勤には香港から通えるよう社用車を用意していたのですが、それでも香港人の95%がやめたということでした。

今もなお、不安から中国に行くのをいやがる香港人がいます。これにはちょっとびっくりします。
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2006-11-07 コメント(0)

【37】  1996年12月11日(水)  香港の日本人事情いまむかし

僕より先に香港で働き始め、僕が香港で働くきっかけを作った大阪時代の友人と、彼が香港で知り合った人と3人で香港今昔物語を聞く。
友人の友人は以前この会社で働いていて今は別の会社にいる。彼はかなり早くから香港に出てきたようす。

彼の話では、香港には昔は日本人も少なく言葉で苦労しながら仕事をしていた。たまに同じ日本人を見かけたら、肩書きにかかわらず仲良く話をしたが、今では日本の大企業から大挙して香港にやってきては日本流のやり方で、言葉も日本語しか話さない人も多いという。日本にいるのと同じだと。彼はせっかく日本のやり方とは違うものを求めて香港に来たのにと言う。

結局は現地企業と言っても、日本人起業の会社、日本の風習は抜けないということか。
僕も雰囲気が違うだけで、善し悪しは別にしてやり方の基本は日本と同じなのを感じて少し悩んでいたので...
香港人宅のホームパーティーで



今日はちょっと重い話。日記には8ページにわたって自分の考えと共に綴られていました。
読み返すと当時はまだやっぱり国民性についての自分の考察が今より劣っているとはっきり感じます。今の自分の常識がこの当時はまだ成立していませんでした。

昔、日本にいた頃、日本のポイ捨てをやめようという広告のキャッチコピーに「みんな見てるんだよね、ほんとはね」というのがありました。
これは日本人の国民性をよく表現しているような気がします。

最近ではウエブで聞く日本のラジオ。これのトークプログラムがけっこう役に立ちます。本音の話のように思えるからです。
この前あったのが、吉本タレントのトーク番組。
「年をとると勝ち負けにこだわるようになるなあ。今までは適当で良かったのが白黒はっきりさせたがる」
おお、なるほど。最近私の周りの日本人の不思議な行動がこれではっきり理解できました。勝ち負けという問題ではないだろうと思えることもなんかこだわって意地を張ってるように見えてたので。

私の心は標準的な日本人ではないようなのです。
早い話、私は日本にいると少数民族のような感じなのですが、こちら、中国・香港にいると多数民族になった気がします。気分が楽・・・
ストレスもぐっと減りましたし、生活費は安い・・

反対に、中国、香港に来ると少数民族になる人も少なくありません、と言うか、日本人の場合、こちらの方がずっと多いようです。もちろんどちらにも対応できるという人もいます。

なので、こちらに来て3年ぐらいして中国、香港に対して決定的な愚痴を言う場合は早く決断する方がいい、と言うのが今の私の結論です。
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2006-11-08 コメント(0)

【38】  1996年12月13日(金)  テレビドラマ

今日会社の相棒の香港人は休みだった。彼は中国へ転属するかレイオフかの選択をしなければならない。自分にいい結論を出してほしい。

よく見ていた観月ありさと石田純一のだラマが最終回となった。なかなかよかった「ヘルプ」というドラマ。関係のない人間2人に2人の子供が苦しい中命もねらわれながらやっていくというもの。最終回では4人の情が移っていくというものだった。

このごろ、数年前ぐらいから、テレビドラマなどでよく感動したり涙ぐむようになってた。何かの感情に目覚めたのだろうか。人間愛を大切に思うようになってきた。もっと若い時からこういう感情に目覚めていたらどうなっていただろう。
TVドラマ「ヘルプ」は日本では1995の放送で香港では2年近い遅れ。
とにかくこの頃は新しい感情がいろいろ出てきました(新感情の目覚め?)。涙もろくなった時期です。

日本にいる頃はドラマなどほとんど見なかったのですが、こちらに来てから、(小さい声でしか言えませんが)まあ安価に日本のドラマのVCDが手にはいるのでほとんどと思えるほど日本のドラマを見あさりました。

香港にいるせいか、感情的に微妙に見る視線が違っていたのだとも思います。善し悪しは別にしてこれでけっこう日本人の心みたいなのを客観的にとらえることができたような気がします。よいところで頷き、悪いところで1人でつっこんでました。

香港でのロンバケ(ロング・バケーション)、ラブジェネ(ラブ・ジェネレーション)のヒットにより日常よく日本のドラマを目にするようになりました。
ちなみに初めて見たのは「星の金貨」でした。

今はDVDに変わりましたが相変わらずドラマを見ています。ただ、当時に比べると質がかなり落ちている感じはします。当時のような感動がほとんどなくなりました。こういうものに慣れたてしまっただけなのでしょうか...



当時の番組ではありませんが・・・ 1999.7.5.撮影

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2006-11-14 コメント(0)

【39】  1996年12月14日(土)  ある香港人同僚との会話

おっ、お金持ち
休日出勤。何かからだがだるく、仕事をする気がおこらない。疲れが絶頂なのか。

香港人の Mr. C と少し雑談。
Mr. C は電子製品、車など、香港にあるものはほとんど日本製だと言う。建築も熊谷組とかでMade in Japan。
松下がNO.1という。彼は松下の製品の委託生産も手がけたことがあったが、その時松下は品質についてうるさかったと言い、そのためにいいのができているのだと。

彼がカナダにいた時に乗っていた車は本田のアコードだとか。ほかの車(アメリカ車)にも乗ったらしいが3年ほどするとワイパー、ハンドルなど、あちこちがおかしくなると言う。ヨーロッパ製はいいが値段が高いらしい。
日本の私学の学費が工学部系で年150万円ほどするというと目を丸くする。彼がカナダにいた頃は学費、食費、通学などの車込み、6年間で50万香港ドルだったという。平均して年120万円程度か...
彼は前に親が家を買っている、と言っていたが(たしか購入費500万香港ドル、8000万円程度)、わりと裕福な育ちのようだ。
明日は日本のお世話になった友人達にクリスマスカードを書かないと...

バトミントンをするMR. C

Mr.CはちょっとHな話もさらっとさわやかに話せるユニークなAB型男性でした。

かなり後になって彼ののマンションをほかの香港人の友人達と訪れたことがありましたが立派なマンションでした。800スケアフィート、70㎡あまりの広さは庶民のマンションでは大きい方です。内装もきれい。彼は間違いなくちょっとリッチな家庭育ちです。




新車にになった深圳のタクシー
Mr. Cも言っていますが、日本製の品質は確かに抜群です。

中国・深圳もおんぼろだったタクシーが近年ほとんどが「VW」や「紅旗」の新車に変わりました。
以前日本車を10数年運転していた、と言う深圳のタクシーの運転手は、客の私が日本人と知り語ってくれました。

彼はトヨタの車に乗っていたようですが、日本車はすばらしい、特に電気系は10数年、一度も修理をしたことがないと。
彼が運転していたタクシーは紅旗の新車。きれいに見えているが、すでに電気系の不具合で数度の修理をしたとのこと。

こちらで生活してみると、ほんとに日本製の品質の良さを感じます。品質がいいと修理とかめんどくさいことに関わらなくていいので非常にグッドな気分を持続できるのです。言葉の問題もあるのですが、この気分の重要さを知ることができました。
この品質はおそらく日本の国民性。未来永劫続くと信じてます。

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2006-11-15 コメント(0)

【40】  1996年12月15日(日)  尖沙咀への路線バス

昨日に続き今日も体がだるい。今日はクリスマスカードを書かないと。
ヤオハンで買い物をしてホットケーキを作る。失敗。

近くのバス停からバスに乗ってみた。バス停の案内板を見ると尖沙咀に行きそうなので215Xを選ぶ。
ジョーダン通りとかあるので尖沙咀に行くのかも。
予想は的中、ほぼ最短コースで尖沙咀の「新世界」にやってきた。ただし、空調付きで5.8香港ドルと少し高いが地下鉄の7ドルよりは安いし、
地下鉄はちょっと息苦しいがバスは周りの景色も見え開放感があるので気持ちがいい。時間的にも少し早いように思える。

尖沙咀で何をすることもなく再び地下鉄に乗り2つめの油麻地へ。夜店に出る。少し時間が早いのか準備中のところが多いようだ。ワイシャツとセーターを買う。ワイシャツはS寸があった。安いのを買う。45$。寸法を見るため。体が小さいと苦労をする。
セーターはM寸。もっと小さいのはないかと聞くとこれは小さいから大丈夫と言われ買ってみた。69$。あとVCDを買いだめ。
帰ってみるとワイシャツもセーターも大きめだがこんなものだろう。ワイシャツは絶対Sすんでないとだめだ。日本と同じようなサイズになっている。普通の店でもこんなものだといいが。

クリスマスカードを書き始める。今日中に終わりそうにない。40枚近く書いた。
眠い、お休み。
地下鉄はなんか、頭を押さえつけられてるような気分になるのであまり好きではありません。たぶん周りの景色が見えず閉鎖的なためでしょう。閉所恐怖症気味かな?

このマンションに引っ越してから2ヶ月半たちますが、交通機関など、まだよく分かっていないのでこの日は尖沙咀へ行くバスを見つけるためにバス停の案内板を見ながらバスを選んで乗ってみました。成功。

2階建てバスの2階からの風景

そして尖沙咀からすぐの油麻地という所の露店街。女人街にも近く、女人街と同じような感じですが、範囲が広く地元民が多い所です。さすがに安い物が多いです。これからじょうずな香港生活のために、安物でもいいもの、品質的にいいものでなければならないものなどを考えながら買い物をしていくことになります。無駄な買い物も多くなるでしょうが慣れるまでは授業料も必要です。

日本にいる時は子供服など、自分の常識的には信じられない価格が多かったのですが、ここでは心機一転、自分流に挑戦。
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2006-11-21 コメント(0)

【41】  1996年12月18日(日)  香港有線テレビ雑感

夜10時半帰宅。
最近ケーブルTV番組の編成替えがあったのか日本語の番組が増えた。
少し前までは午後8時から30分間のNHKニュース(残業でほとんど見る機会はなかった)と0時からのビジネスライン+αで30分だけだった15chが今は10時から12時まで日本語だらけ。10時から30分ニュースのあと10時半から11時半までドラマ。11時半からビジネスライン+αが12時まである。

11時からは12chで2カ国語放送の日本のドラマ、5chで午後8時からと12時から1時間、日本のドラマがある。始めの頃は自分の趣味に合わないと思っていたがこのごろはけっこう楽しんでいる。日本でならあまり見ないような(興味がない)ドラマだが、日本語の番組が少なくて見る方に選択権はないようなものであることと、日本では週1回の番組をこちらでは毎日やるのでテンポがいいためとりあえず見てしまう。

ただ、自分の好みでないものを見てしまうためなのか、このごろいろいろ考え込んでしまう。それはある程度人の話をよく考えながら聞くようになったからかも知れない。いい傾向だと思う。とは言っても以前は人の話などほとんど聞いてなかったような気がするのでちょうどよくなってきたのだろう。
正直であれ、真実に謙虚であれ、天は二物を与えずともひとつは与えると言う考えにたって人と接するよう心がけなければならない。どんな人でもどこかにいい所はあるはずだ。


香港人同僚は先月120時間の残業になったという。「そんなにたくさんか」と言うと「あなたも同じようにやってるだろ」と言う。そのとおり。どうしてこんな日本的なことをしなければならないのだろう。
仕事ばかりで人生を終えたくないし、もっと自分の時間がほしい。

有線テレビの請求書。支払いは小切手を郵送

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2006-11-22 コメント(6)

【42】  1996年12月21日(土)  日本料理屋

1時頃休日出勤。もう一つ気乗りがしない。

M氏がやってくる。転職することが決まっているので荷物を取りに来たらしい。尖沙咀へご飯を食べに行こうと言う。
やっぱり最後の給料が、Z氏の時のように支払われてないらしい。
引っ越し代5000HKDだったという。家賃は保証金が2ヶ月分あるので3ヶ月分8500x3払ったとのこと。もうお金がないと言う。

仕事を早い目に切り上げて、共に退社。
彼の新しいマンションへ寄る。改装工事進行中の部屋。僕が香港に来たとき2ヶ月間すんでいたアモイ・ガーデン、淘大花園。僕はN棟31階、彼のはE棟。中に入ると、床が木目のものになっている。これなら綺麗に掃除をすれば裸足でも大丈夫だろう。リビングが狭いのは2部屋を作っているためだった。僕のは1部屋だった。名目500平方フィート47㎡とのことだが..
台所は汚いがここも改装するらしい。まあまあか。
でももうちょっと交渉できなかったものか....8500HKDは高いような...Rate込みらしいが・・
僕の住んでいたよりバス・トイレは広い。これはいい。

久しぶりにアモイのバス停から28番に乗る。ニューワールド、新世界で下車。久しぶりの日本料理、大関へ。自炊を始めてから滅多に来なくなった。愛想がよくないし高いから。
ここは何度来ても接待が同じ感じだが、英語に行っている湾仔の日本料理屋は数回行っただけで「ああ」という顔で微笑んでくれるし、アモイのレストランでは話しかけてきてくれた。そんなことを考えると大関は他人行儀な感じがする。
現金の持ち合わせがないのに気づく。
ATMを探すが見つからない。とりあえず食事代ぐらいは何とかなるので諦める。
久しぶりにすき焼き定食を注文する。98HKD。M氏も同じものを食べる。食後東急へ行く途中にATMがあったのでお金をおろす。東急でちょっと買い物。
M氏は28番、僕は215Xのバスで帰る。
最後の給料が支払われていないというのには理由があります。
もし、M氏がこのまま日本に帰るなりして香港を離れてしまうと会社が香港に対して彼の税金を払わなければならないので、税金を香港政府に払ったのが確認できてから給料が支払われます。

香港スタイルで賃貸アパート入居時には当月分の家賃のほか、保証金として家賃2ヶ月分を大家にわたします。これは契約期終了後全額返ってきます。
もし、不動産屋を通せば0.5ヶ月分の手数料。
8500HKDというと12万円程度、香港の家賃は日本よりも高いです。
家賃のほかに月々管理費とレートと言われる税金を払います。アモイの場合は管理費500HKDでした。レートは200ぐらいだったと思います。

日本料理屋はこの頃はまだ少なかったと思います。この日本料理屋の大関は尖沙咀の新世界にあったのですが今はもうありません。

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2006-11-28 コメント(0)

【43】 1996年23月23日(月) 香港と中国をまたぐ会社の配置転換準備

明後日はクリスマスの休み。

会社は中国移転の件で今日も個別の話し合いがされていた。どういうことになるにしろ、こうなっては雰囲気は暗い。今日も面接中は香港人が集まっていろいろ話をしている。少し辛い。

仕事の相方、Mr.TやA氏などと話をしてみる。
A氏は始めから合いそうな雰囲気はあったので話は正直だ。彼は月水金と学校に行っているらしい。まだ半年だという。

日本人の部長F氏の話によると2人とも1万1000香港ドル程度の給料で、Mr.Tには給料を5割UPにして中国へ赴任するよう話をしようと考えているらしい。と言うのは彼の仕事はハードで残業も多く、この残業手当が給料の5割にあたると言うことだ。
ただやめていく人の中には1万9000ドルなどの人もいるらしく、給料の能力基準とかの統一性がないと言う。
この当時の香港人には中国転勤の話は辛いものがありました。給料もこうしてみるとかなり安いようでしたね。
結局私の相方Mr.Tは中国へ行くことになります。

A氏のように入社してからも夜間の学校に行っている人はけっこう多くて会社もそれを阻害するようなことはできず、これはいい習慣だと思いました。学校を出て就職してからも好きな時にしたいだけ勉強できるシステムが国としてできているわけですからうらやましいですね。

2006年11月29日、今日の深圳は・・・

今日、深圳の招商銀行ビル(私のマンションに近い50階建てのビル)へ行くとクリスマスの準備をしていました。バスに乗らずにここから30分歩いて帰りました。


招商銀行ビル1階のロビーに飾り付けられたクリスマスのデコレーション




招商銀行ビル - のっぽのビル(通天閣)


近くの広東料理の店


帰り道


新しくできた香蜜山近くのマンション「香域中央花園」。
内装工事を終えてぼちぼち入居し始めてます
さっそく「域」の部分の照明が切れてますよ


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2006-11-29 コメント(2)

【44】 1996年12月24日(火) クリスマスイブ、結婚披露宴の招待状

今日昼は会社でささやかなクリスマスパーティー。この前100香港ドル供出した。思い切り食べる。でも少し足りない。4時で終業となりほとんどが帰って行った。香港では大きな行事の時は終業が早い。
6時過ぎH氏と共に退社。彼は明後日からまた中国に行くもよう。

駅近くの電器チェーン店の泰林に寄る。Filipsのマルチビデオプレイヤーを買う。世界中の方式のテレビが使えるものだ。2880HKD。
帰って真剣にマニュアルと取り組む。英語か中国語を理解しなければならない。不足していたRCAコード、ACタップ、ビデオテープをヤオハンに買いに行く。
日本円にすれば4万円ちょっと、そんなに安くはないが、マルチと言うことを考えると利用価値は高い。3時間程度書けて操作をあらかたマスターした。

今日、香港人のMs.Cから結婚式の招待状を受けとる。香港人Ms.Oが独身の僕に「最後のチャンスがなくなるよ」とふざける。三石さんは去年7人ほどの結婚式に出たという。なかなか「ものいり」だったそうだ。
この頃はまだビデオテープの時代。日本にも多くのコレクションがあるので日本のTV方式のNTSCと香港のPAL方式の両方を見る必要があるのでマルチを買いました。同時に香港を引き払って日本に帰る場合を想定して電源も100V-240Vというものを選定しました。
今はもう博物館的存在、いろいろ考えたのがアホみたい。

香港の結婚披露宴は招待客は多くを集めるようです。丸テーブルで人数の増減はそんなに気にしなくていいし、招待客が勝手に自分の恋人を連れてきて一緒に参加、と言うのもOKです。服装もかしこまらなくてもOKですし、ほんとに気楽です。


わたされた招待状1式
上左から 封筒、紅包に入れられたお金10元(たぶん交通費)、ケーキの引換券
下 招待状

招待状の文面

ケーキの交換券は永久使用となっています。つまり交換期限がない。
式の日付は月暦と西暦の両方で表示されてます。公歴は西暦(キリスト歴)、農歴は陰暦です。
中国では月歴で誕生日を祝う人も多いですね。

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2006-12-05 コメント(4)
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